2024年9月クライマーの備忘録を公開することにしました。
2024年11月19日
2018年にクライミングテクノロジーのモノポイントアイゼンを購入し、二年ほど使っていたのだが、高難度のアイスクライミングについて行くことが出来ずオークションで売り払ってしまった。にもかかわらず、最近になり、道具フェチ気味の私はヤフーオークション、メルカリを見る日々が続いた。
もちろん新品を買うのが一番いいことなのは当たり前であるが、再度アイスクライミングを始めたとしてもいつ止めるかはわからない。であれば中古で程度の良いものを探すことになるのだが、それは楽しい作業であるにしても、良い出物を見つけるのは困難でもある。バーチカルアイスは厳しいが、多少傾斜の落ちたアイスを気持ちよく登るためにはモノポイントかデュアルポイントアイゼンは必要だ。2024年に入り円安のために輸入品であるクライミングギアの値段は高沸しているのが現実だ。それに伴い中古も以前より高い。タイミングが合えば格安が見つかるかもしれない。できれば\15,000以下で手に入れたいが難しい。
GRIVEL Rambo Mono Point
上がすり減った現品の刃、下が新品の刃 これだけ差がある
グリベル デュアルポイントアイゼン G22Plus 旧型 試着のみ未使用品 を発見したのだが価格は\25,000と理想的ではない。次にRambo Mono Pointアイゼン2017年購入品だ。\8,800と価格的には格安だ。他よりは断然安い。安いものには訳があるのたとえどうり、よく見てみると確かに難は少しある。破損した箇所がないし、機能的には問題がないのだが、3年程使用(10回程度)その後自宅保管していました。にしては刃の減り具合が激しいのだ。
全ての刃にヤスリを入れたが果たしてどうなるか?
ヤスリをかけてやれば刃は鋭く出来るのだが長さが当然短くなる。これは実際にアイスで使ってみなければどうなるかはわからない。万が一に適当ではなかったとしても、普通の冬山では問題ないと判断した。実際に実物を見ると、刃のヘリ具合以外に瑕疵はない。ヤスリをかけ鋭くした刃がどのくらい届くのかは、実際に使ってみなければ本当のところは分からない。楽しみでもあるし、心配でもある。本日降雪8cm、もうすぐ冬将軍がくる。
2024年10月15日
A・C・アーヴィン発見
つい先日、山好きには驚くべきニュースが飛び込んできた。なんとあのアービンの遺体の一部と遺品が100年ぶりに発見されたというのだ。
2024年9月、ナショナル・ジオグラフィックの調査撮影隊が、エベレストの融解しかけた東ロンブク氷河から突き出た登山靴と靴下を発見。遺体の一部および遺品らしきものを発見したとの報道があった。靴下の名札にはA・C・アーヴィンとあり、靴の中に残されていた足の一部からDNA鑑定を行なうという。
1999年に捜索隊によってマロリーの遺体が発見されたが、それ以来25年ぶりのことだ。
マロリーの遺体が発見された時、ロープによって腰部が損傷していたことから、二人はロープで結び合ったまま滑落したのではないかと推測された。その付近を捜索してもアーヴィンの遺体は未だに発見されていなかった。
1924年6月8日、マロリーとアーヴィンが、最速ルートであるチベット側の東ロンブク氷河のルート上部ノース・コルから、ついに登頂に挑んだが、マロリー、アーヴィンの姿が見られた最後となった。隊員の一人ノエル・オデールは、2人が頂上まで約250メートルを残したセカンドステップにたどり着くところを見たのが最後だと語った。
午後12時50分、マロリーとアーヴィンがセカンドステップへ取り掛かろうとし「頂上へ向けて力強く進んでいた」と報告したが、彼らが登頂に成功したかどうかは確認できなかった。オデールの証言以外にこれを証明するものはなく、彼らがセカンドステップを登り切ったのかは、今もってわからないし、また、頂上にたどり着かなかったという証拠もない。その後、2人の姿は山中に消えた。そのまま二人は帰還せず、登頂に成功したかは未だに不明である。
『そして謎は残った: 伝説の登山家マロリー発見記』文藝春秋 (1999/12/1)が出版されたときすぐに読んだが、まさかマロリーが発見されたとは驚きだった。しかし、アービンは発見されず、また登頂の証拠を残すために持参していたポケット・コダックも発見できなかったため、謎は残り、可能性はあるにしても登頂したかどうかは、永遠にわからないのでは思ったのだが。25年
あまりたった今年にアービンが発見されるとは。さすがに資金が潤沢なナショナル・ジオグラフィックだけのことはある。
ウィキペディア(Wikipedia)より
今日、エベレスト登山は先鋭的クライマーによるバリエーションクライミングはほとんど行われておらず、公募隊によるツアーがすべてに近い。つまり高額の参加費(400万円を超える)を支払えば、普通の体力があり、多少のヒマラヤ登山経験者は誰でも登れると言われている。世界最高峰の登頂に夢も価値もないのが現実なのだ(とはいえ金も体力もない私には無理だが) 唯一あるのがマロリーとアーヴィンが登頂したのか、できなかったのか、なのだ。謎は永遠に残ったままにしておいた方がいいと思うのだが、持参していたポケット・コダックを発見することによって名声と金を手にできるだけあって、いずれは見つかるだろう。次にポケット・コダックが見つかるのは時間の問題ではないだろうか。
参考資料
ウィキペディア(Wikipedia)
『そして謎は残った: 伝説の登山家マロリー発見記』文藝春秋 (1999/12/1)
2024年10月6日(日)
久々に小樽の銭函天狗岳でクライミングをした。銭天は札幌から車で30分程度で駐車場まで行ける上に、ほぼ一時間の登りで岩場に到着できる。
ただし、アプローチの途中は傾斜がきついうえに、ルートの数もマルチピッチが7本と少ないので、他のパーティを見かけることはほとんどない。
天候は快晴、気温23℃、無風とこの時期としては快適であった。マルチ一本、シングル一本で終了した。三人で203歳と高齢パーティということもあるが、忘れ物があり二人がクライミング中に一人が見学という変則的な構成にしたのだった。
ルート名は不明5.9~10a程度か
銭函天狗岳は標高536mと高くはないが、山麓から急激に立ち上がっており見た目も恰好が良く、ハイキングでも人気の山だ。クライミングをしていると眼下には森が広がっており、その向こうに手稲山が見える。ちょうど小川山の屋根岩二峰から見下ろした景色にそっくりだ。岩場の傾斜もきつく充分満足できるのだが、いま時期カメムシの大群に悩まされるのが難点であるが。気持ちよく下山したら、駐車場近くで栗のお土産まで拾った。
2024年9月29日(日)
風不死岳へ、北尾根コースから一人で登って来た。支笏湖のモーラップキャンプ場近くから登る標高1102mの山でとても人気が高い。
今回も本来の駐車場が倒木で入れないために、近くの狭い駐車スペースは7:00には満杯近かった。天気は快晴、気温は肌寒いくらいなので気分的には良いペースで進んだのだが、北尾根は平均斜度が30°と想像するよりきつい。なんと北アルプス三大急登と言われているブナ尾根が23°なのだ。きついといっても8合目までは休むのもそれほどなかったが、9合目あたりから出てきた岩場から、右足の痛みが増してきた。三年前から患っている変形性股関節症である。股関節は骨盤と下肢をつないでいる関節で、この関節は丁度ボールがソケットにはまったような形をしており、そこの軟骨が老化で減るらしい。
私の場合、減ってきたというよりも、そもそも日本人で最も多い股関節の形が悪いために傷みが出るとのことだ。
この病気は放っておいても治らない。人工関節か、股関節を安定させるには股間節周辺の筋肉を鍛えることしかないのだと言われた。ということは山に登るのは筋肉を鍛えるために治療の一環として行っているのか?股関節を痛めるためにやっているのか疑問が浮かんだ。
整形外科で医者に聞いた。
『先生、一番いい方法は何ですか?』『そりゃあ君、人工関節だよ。痛みはなくなるし、動きにも問題ないが10年くらいしか持たないがね』『先生、山登りは出来ますか?』『大丈夫』
『クライミングは大丈夫ですか?』『そりゃあダメだな!』この一言で私の治療方法は筋肉を鍛える方法を取ったのだが、どうやら最近は限界を迎えつつあるようで、最近山に登ってもクライミングしても痛みが出る。特にクライミングで股を広げると激痛が出る。
医者に再度聞いた。
『先生、すごく痛いんですけれど、大丈夫ですかね?』『痛い?足は動くのかね?痛みで動かせないのか?』『痛いけど動かせます』『動くんだったら大丈夫だ、動かないほど痛くなったらまた来て。とりあえずヒアルロン酸を何回か打ちなさい』
ヒアルロン酸注射は股関節には打てない。膝に五回程打ったが効果は少なかった。
頂上から見える恵庭岳はなかなか恰好が良い
風不死岳の岩場を痛みをこらえながら越えた先には誰もいない頂上が待っていた。7:25~9:25と二時間のコースタイムは標準的だが、今回の疲労度は激しい。風は少しあるものの、景色は快晴で支笏湖に恵庭岳が映えているが、行動食のパンはうまくない。20分ほど休むと足の痛みが引いたので、下りは、ボロボロになりながら転がるように降り10:55車に戻った。
2024年9月25日(水)
ここ二日ほどの間に三件の正面衝突死亡交通事故が道内で発生してしまった。
22日午前7時半ごろ、小樽市銭函の国道で乗用車同士が正面衝突し、この事故で車を運転していた札幌市の大学院生(24)が死亡
もう一方の車を運転していた函館市宮前町の自称会社員(32)からは事故後基準値の3倍以上となるアルコールが検出。
9月22日午前7時ごろ、函館市志海苔町の国道278号線で路線バスと乗用車が正面衝突する事し、この事故で乗用車を運転していた函館市の会社員(22)が死亡。
9月23日午後2時10分ごろ、北海道余市町潮見町の国道229号線のワッカケトンネルで「トンネル内で軽乗用車と乗用車の正面衝突事故。軽自動車の男性が死亡。
小樽での事故は飲酒運転だから論外であるが、函館、余市の事故は普通に運転していたならば起きえない事故である。
函館は緩いカーブを対向車線に飛び出し、バスに衝突している。ブレーキ痕はない。余市でも真っすぐなトンネル出口付近で対向車線に飛び出している。
いずれも高齢者ではなく若い世代であり、病気も考えにくい。
対向車線に飛び出すということは、間違いなく前方を見ていなかったと思われる。原因は定かでないが、例えば一瞬でもスマホを見たり、何かに気を取られると10mや20mはあっという間だ。そんなことはわかっていると誰しも考えるが、結果は出る。
クルマの性能が飛躍的に上がり、安全性が高くなってきたとはいえ、衝突軽減ブレーキは万能ではない。安全性をうたうアイサイトでの死亡事故も発生しているのだ。私もスバルだが信頼はしていても、信用はしていない。
それらの装置は、万が一の時に運転手の手助けをしてくれるに過ぎないのだ。
忘れてはならないと思う。運転は両手をハンドルに添えて、前方を、サイドを、後方を常に確認し、何かに気を取られすぎない事だろう。
変なたとえだが、大キレットを登っている最中にスマホを見るだろうか?
景色が良いからと蝶ケ岳を見ながらホールドを握り、スタンスを探すだろうか?
どのような行為でも、油断やよそ見は死を招きかねない。
自戒しなければならないと思う。
2024年9月24日(火)
中国広東省深圳で日本人男子児童が刺殺された事件について野口健さんは9月19日、自身のXでこの事件に言及した。「またしても日本人の子どもが狙われてしまった。シナの大使を国外追放すべきで、もはや邦人を速やかに中国から引き上げさせた方がいい」と述べた。
数十年に及ぶ中国の反日教育の結果から、発生したとみられる事件だが、わざわざ『シナ』と言葉を言い換えることに強い違和感を覚えた。支那ということばに蔑視(べっし)の意味はないが、日本人が使用すると蔑称的性格を持つことを彼は知っているはずだ。
マスコミへの露出が多いことや、清掃活動にはじまる多方面(ネパール、日本国内)での社会活動に熱心であることに共感を覚えてはいたが、他方右に寄った発言が気になっていた。この報道を聞いた時から、やっぱりかと思い、見に行った時には『中国』と言い換えていた。
誰でも、今回の事件で怒りを感じるだろうが、言い過ぎに注意をするものだ。とっさに出す言葉はその人の本質を表しているため、怒りにまかせた一言は、あっという間に拡散しもとには戻らない。SNSの恐ろしさがここにある。「口は災いの元」と言うではないか。
- 2024年9月19日(木)
- 札幌市ヒグマ出没情報によると『札幌市は、市域の約6割が森林で占められており、豊かな自然に囲まれた大都市であるが同時にこの森林には、多くのヒグマが生息している。札幌市には、市街地とヒグマの生息する森林とが直接つながっている地域が多く、ヒグマの森林から市街地への侵入を防ぐための緩衝帯となる地域が少ない。さらに近年、管理がされず、草木が生い茂ってしまっている土地や、放棄されたままになっている果樹が増えてきている』
- 『近年、ヒグマ出没に対応できる熟練した捕獲従事者の減少及び高齢化が進んでおり、将来的な人材不足が懸念されています。また、春グマ駆除廃止以降、保護に重心を置いた施策が実施される中で、捕獲従事者の減少と高齢化により、ヒグマへの捕獲圧が緩んだことが原因と考えられる、人への警戒心が希薄で、人を恐れないヒグマの出現も見られております。ヒグマの生息状況が変化し、市街地での出没件数も増加傾向にある中、ヒグマを市街地に侵入させない対策を進めるとともに、ヒグマ捕獲の経験と技術を有する従事者の育成が課題となっています』
- と注意喚起情報がいつの頃かより出放しになっている。しかも市民に愛されている西区の三角山、大倉山などが入山禁止になり、すでに三か月が経とうとしているのは異常である。札幌市は9月12日、西区でヒグマ1頭を捕獲し駆除したと発表した。外見的特徴から、三角山の登山道で出没した親グマとみられる。西区山の手の自然歩道に出没していた親子の母グマらしい。 以前に調査に入った専門家が襲われケガを負わされた親子連れともみられ、子供の二頭がいまだに付近を徘徊していると思われる。おかげで私の散歩もできなくなった。
- 昔は山に入るか、南区の果樹園近くでなければヒグマに遭遇するなんてほぼありえなかった。それが1990年を境にヒグマを取り巻く状況、ヒグマに対する政策が大きく変わったことが原因だろう。以前は毎年、道の春グマ駆除制度により全道で春に冬眠から目覚めたヒグマをわなや銃で駆除し続けていた。しかし、世界的な自然保護への意識の高まりを背景にヒグマを保護していく、ヒグマとの共存を目指す政策へとシフトしたことにより当時3000頭余りとみられていたヒグマが、2024年度にはなんと12,000頭を超えるとみられている。
- ヒグマには個体に応じてテリトリーがあり、子育てを終えた子熊は親から追い出される。当然、子熊は自分のテリトリーを探さねば生きていくことが出来ないわけだ。山にはすでに自分が生きていく領域は一部の隙もなくなり、市街地近くへと追い出されるのだ。その上札幌市の出没情報にもあるように、果樹園などの緩衝地帯がなくなりつつある現状では人を恐れないアーバンベアとなり、玄関先を徘徊するのだ。意外なことにクマに襲われる事故は登山ではそれほどない。多くは市街地で発生している。この問題はすでに北海道、東北、長野だけでなく、なんと東京都あきる野市においても市街地に出没が始まったという。クマだけではなく鹿、イノシシにおいても同じ傾向のようだ。人口減、地方の衰退、都市部への人口移動などで、その傾向は加速していくに違いない。将来、日本列島は原始の世界へ戻るのだろうか?
- 札幌市ヒグマ出没情報によると『札幌市は、市域の約6割が森林で占められており、豊かな自然に囲まれた大都市であるが同時にこの森林には、多くのヒグマが生息している。札幌市には、市街地とヒグマの生息する森林とが直接つながっている地域が多く、ヒグマの森林から市街地への侵入を防ぐための緩衝帯となる地域が少ない。さらに近年、管理がされず、草木が生い茂ってしまっている土地や、放棄されたままになっている果樹が増えてきている』
- 2024年9月17日(火)
連休の先日、赤岩へ行くつもりで家を出た。しかし、天気予報が外れてしまい小樽に近づくほど雨がひどくなってきた。すぐに予定を変更し、民間のクライミング施設H小屋へと進路を変えた。H小屋には雨で逃げ込んだ人が8名程度居たので少し驚くが、誰しも考えることは同じなのだ。当方の二名が準備をしていると、先客のHクラブの指導者が新人にアンカー構築、懸垂下降等の指導を熱心にしているのが見えた。
それも、地面の上ではなく天井面にあるアンカーに三人が登り、緊張感のある実践的指導のようだ。型どおりではなく、場面に応じたアンカーの作り方、マスターポイント、残置物の選別等、思わず耳を傾けてしまうほど具体的で内容が濃い。
ただ登るだけであれば、20,30代の人はすぐに5.11程度は登るに違いないが、クライミングにおける手順、ことにアルパインクライミングなどのマルチピッチでの手順と応用は、見たり聞いただけでは絶対にマスターできない。
緊急時に確保や、脱出する場合、練習を重ねておかなければ現実では実行できない。
地震時の避難、火事での避難等も全く同じである。
つまり、頭だけでは身につくことはなく、同時に体で覚えなければ自分のものにならない。
訓練の様子を見ていて、どれだけ自分が出来ているか不安を覚えてしまった。
良い指導者のいるクラブが、活発な活動をしているのは当たり前だと思った。
- 2024年9月14日(土)
Yahoo(信越放送)ニュースによると
「北アルプス北穂高岳で男性が左足にけがをして、長野県警のヘリで14日朝、救助された。 北アルプス北穂高岳で愛知の男性救助 山小屋に到着も「肉離れ」で下山が難しく救助要請 救助されたのは、61歳の男性です。男性は、9日単独で七倉から入山し、13日は南岳から北穂高岳に向け縦走中、左足に軽いけがをしました。 現場は北アルプス北穂高岳北峰付近だったということです。 男性は山小屋まで到着しましたが、肉離れを起こしていて下山は難しいことから午後6時ごろに救助を要請したもので、14日朝、県警のヘリで松本市内の病院に搬送されました。」とあった。
9日に七倉から入山し、13日北穂高岳に到着しているから、順調に歩いてきたことがわかる。危険極まる不動岳の崩壊リッジを通過していることから、十分な経験者が裏銀座に入ったのだろう。であれば無理をしてケガをしたとか、素人がなどとコメントに書き込みがあることに違和感を覚える。どのように歩いても、時として肉体的アクシデントは起きるものだ。町で転んで救急車を呼ぶのが非難されるだろうか?
山であっても自力で下山できなければ、ヘリを呼ばなければならない。最近よく見かける、疲労で歩けなくなり救助要請した案件とはまったく性格が違うだろう。
しかし、そのためには山岳保険、計画書、ココヘリなどの事前準備をしておかなければ非難は免れない。大キレットでケガして北穂の小屋までなんて相当頑張ったし、本人は出来れば自力下山を目指していたであろうと思いたい。
ニュースの一報からはそれ以上わからないが、無事でよかった。
- 2024年9月14日(土)