蓮華温泉~白馬岳~大雪渓~唐松岳 2022年

蓮華温泉~白馬岳~大雪渓~八方尾根~唐松岳 2020年

7月16日~23日

後立山連峰は、2014年剣岳~立山三山を登った時、天候と疲れから断念した因縁の山域だ。コロナが収まりつつある今年が最大で最後のチャンスと判断した私は蓮華温泉から白馬を経て不帰の倹を通り五竜岳に至る計画を立てた。
過去に穂高の大キレットを通過しているので、三大キレットと呼ばれている八峰キレット、不帰の倹はどうしても行かなければならないと決めていた。
今回、不帰の倹が核心になるだけに期間は6/16~6/23日の八日間である。しかし、問題は多々あった。第一に天候の不順であり、今年の梅雨明けがいつになるかという大問題である。
平年であれば6/23日が梅雨明けとなり、その後約十日間は昔から梅雨明け十日として特異的晴天に恵まれるはずなのだが、どうやら地球温暖化の影響なのか、今年は相当早く梅雨が明けるらしい。
しかし、決定しているわけでもなく自然は気ままである。二か月先の天候はどうにもならないが予定はハッキリさせねばならない。
北海道から長野までの飛行機の予約を始め、山小屋の予約から旅館の予約は今から決めておかねばならない。
4/30日 飛行機、山小屋、旅館の予約を行い計画の確定とした。

7月22日(土)
梅雨明けが6/28日と気象庁が発表したにもかかわらず雨が降りやまず計画開始の日が迫ってきてもやむ気配がない。完全に読み誤ってしまったな気象庁、どうしてくれるんだと言っても仕方がない。あとは出発していけるところまで行き、停滞も覚悟するしかない。

7月16日
飛行機は定刻通り13:25松本空港に到着し、時間に余裕のない我々は機内持ち込み荷物だけなので、走るようにエントランスを抜けた。
幸いタクシーの先頭車両をつかみ乗り込んだ。運転手によると14:13分の電車には間に合うとのことで最初の難関を突破できたことに安心した。
駅の大糸線ホームに行ってびっくり、なんと登山客があふれんばかりにいるではないか、コロナが収まりつつあるので当然のことか。
何とか乗客の波を突破し座れたのは幸いだった。何せ二時間以上電車に乗らなければ平岩につかないのだからここで疲れ果てるわけにはいかない。
しかし、電車が信濃大町駅に到着したとたんにあれほどいた登山客がほとんど降りてしまったことに驚いた。残ったのは我々を含めて六人くらいだった。
彼らはどうやら何かのツアーらしく八方尾根あたりから唐松岳に登るようだ。
座ることに焦る必要がなかったわけだが、まあ空いていて楽ちんではある。
途中乗り換えがあり、単線のワンマンヂーゼルとなり一気にローカル色が濃くなった。
平岩駅に到着しても降車したのは我々二人だけになり、蓮華温泉登山口の人気はあまりなさそう。誰一人歩いておらずさびれた観光地である。

姫川温泉白馬荘は駅から歩いて十分ほどで16:56到着し、ネットで見た通りの昭和ローカルくたびれた旅館である。すぐに温泉に飛び込み、家からの八時間の疲れを落とす。旅館には登山者らしき人は誰もおらずバイクツーリング者が三人だけであった。
夕食に行くと日本海に近いだけあり海の幸のごちそうが満載。充分腹が膨れた。
旅館の女将さん二人はひまを持て余しているらしく、我々に山や北海道のことをやたらと聞いてきて食事がしづらい。
出だしは順調だが明日の天候はどんなものだろう、雨は降らない予報だが晴れとも言っていないのでどうにかなるだろう。

7月17日

朝ごはんは時間がないので頼まずに、一路平岩駅のバス停へ向かうと小型のバスがやってきた。時間になっても我々以外の乗客は予想通りに現れず、6:40出発となった。バスは相当急なツズラ折りとなった山道を登っていく。
狭いので運転は大変だろう。天気は回復傾向にあり、時々日も差すので希望が持てる。
7:35蓮華温泉登山口に到着すると駐車場はすでに満杯状態なので驚いた。
歩き始めてすぐに小雨が降りだしたので雨具を羽織るがすぐにやみ、その後雨は降ることがなかった。見通しの悪い登山道は特にこれと言って特徴がなくあまり面白くない。森林限界に出なければ北アルプスの景色と雰囲気を堪能できないのだろう。もくもくと歩いているうちに天狗の庭に到着。ここだけは雰囲気が違い高山の様相だ

          ガスがかかり幽玄な雰囲気の登山道


12:09白馬大池山荘到着。予想通りの時間に到着しひとまず安心する。
今回は時間に余裕をとってあるので一日に歩く時間は五~六時間以内であり、基本的に昼までには山小屋に到着する計画だ。
 山小屋で泊まるのは2015年穂高連峰以来である。コロナになってから山小屋の環境は大幅に変化があり、定員が今までの半分以下となった。それにともない一泊二日の金額は13,000円平均と高額になってしまった。
息苦しいほどに狭い寝床で寝るよりは、ゆったりと落ち着いて泊まれる方が高齢者にとって楽なのは言うまでもない。
泊りの客は三十人もいるだろうか、盛夏の北アルプスにしては極めて少ないだろう。コロナと天候不順は山小屋経営を苦しめているに違いない。
スマホのバッテリーに不安があったので今回はモバイルバッテリー電池容量10,000mahを持参した。
カメラのバッテリーも5個と万全の体制をとったのだが、天気が悪いと無駄に終わるかもしれない。どうも今回は、八日間と最長の登山期間であるがゆえに装備が多すぎたようだ。

   小屋泊まりだから軽量化を図ったが失敗した 行動食が多すぎる


まず、行動食が多すぎた。1キロを越えたかもしれない。水も2リットルを越えたし、靴下の替えも持った。少しずつ増えると気が付いた時には想定を超えるのだ。旅館で重量を測ったところ、なんと7.5kgと想定した重量を2キロもオーバーしている。フルに山小屋を利用するのだから軽量化できるのに、これは多すぎた。
水をへらし、行動食を必死に食べて減らすことにした。

7月18日
朝起きても空模様はかんばしくない。雨が降る気配はないにしても太陽は出ていない。
6:10 白馬大池山荘、雪渓を横切り尾根を登ると大池が全貌を表しはじめ美しい

 

     天気が良くないとの予報のためかテントが少ない


砂礫の登山道にコマクサが点在し、そのほかにも高山植物が姿を見せてくれる。大雪山の圧倒的な物量とは違っているが、白馬岳周辺はその種類が多彩に思えた。8:27小蓮華岳に到達するとガスに覆われはじめほとんど何も見えなくなってきたのはとても残念に思う。それでも尾根の右側方向に雪倉岳が姿を見せた。旭岳に似た穏やかな形でアルプスでは珍しい。尾根道はほぼ一直線についているので晴れていたらどんなに良いだろう。

          美しく歩きやすい3000m峰への稜線


次第に尾根より下部がガスが晴れた。左前方下部に白馬岳大雪渓が見えた。
日本で一番大きく長い雪渓だが、この時にここを下ることになろうとは考えもしなかった

            稜線より見る白馬大雪渓

            標識と石盤では物足りない


視界が悪いが花の美しさはますますさえてきた。白馬岳方向より登山者が数名現れた。9:16三国境ではとうとう20mに視界が落ち10:15白馬岳に着くとほとんど視界はなくなった。スマホのジオグラフィックアプリは現在位置がガーミン20Jに比べてわかりやすく便利だと感じた。ただし、落としたり電池がなくなると終りだから要注意ではある。
頂上では信州側がすっぱりと切れているので景色が良いのだが残念だ。
早々に切り上げ、標識と剛力伝で有名な方位盤だけを写真に撮り白馬岳山荘へと急いだ。まもなく10:30 白馬岳山荘に到着したが、到着しても受け付けは11:00からとのことで隣のカフェでコーヒーを飲みながら時間をつぶした。
晴れであればどれほど美しいだろうと思うが今見えるのは乳白色のガスだけだ。
カフェの天井は高く、相当に広い。造りはとても3000mにあるとは思えないくらいセンスが良い。これは婦女子に人気があるのも納得である。
男の高齢者にとっては、少し違和感があり、時代について行かれないさみしさと落ち着かない感じが否めない。

        日本一大きな白馬山荘も良くわからない

時間になり、受付をして部屋に向かうが収容人員1200名の巨大な山小屋も三階には現在私だけである。一人一区画となっているので、非常にゆったりとしていて落ち着ける。これはコロナの影響が良い方にはたらいた少ない例だろう。
普通テーブルと椅子のある談話室があるのだがここには絨毯のフロアーがあるだけなので使いにくい。収容人員が多いため作れないのかもしれない。
ここの壁に液晶テレビが掛けられており、天気予報が常時流れていた。
どうやら明日の天気もかんばしくないようで気持ちが落ち込む。
携帯電話の電波がなかなか入らず、あちらこちら動き回ったのだがカフェの建物外が外側でようやくKDDI の電波を拾って家に電話出来た。

夕食後、誰かがガスが晴れて剣岳が見えると言っていたので慌てて表に出ると雲は重たくかかっているものの視界は良くなっていた。
正面には杓子岳、鑓ガ岳、そしてあれは剣岳だろう。さらに右手には旭岳と昨日のガスがうそのようになくなっていた。恐らく一瞬の合間だけだろう。

        杓子岳は一瞬見えたが、それまでであった


まもなく暗闇が訪れ部屋に戻って明日の天気予報を確認したのだが、これが全くと言っていいほど悪いではないか。雨も風も強く、ほぼ一日荒れる予報だ。さてどうするか?
一日停滞して様子を見るか、それとも先の天気はわからないのだから一度白馬村へ下山して、明日の様子で仕切り直し八方尾根から唐松岳~五竜岳と登るのか。
朝起きて風がひどくない場合天狗山荘まで行って次の日不帰の倹を越えるのか。
ただ、天狗山荘までいった場合、天気が荒れると鑓温泉~猿倉へのエスケープルートががけ崩れのため通行止めとなっているので動きが全く取れなくなる。
すべては明日の朝天気が実際にどうなっているかで判断することにして寝た。

7月19日
朝起きると事態はさらに悪くなっていた。叩きつけるような風雨は山小屋をゆするほど強く、下山も簡単ではないことを表していた。
さあどうする?結論はすぐに出た。大雪渓を下山しよう、そして白馬温泉の旅館で一泊し明日八方尾根を登り、条件が良ければ五竜岳まで行こう。
6:25 白馬山荘 視界は悪く数十メートルしかないだろう。横殴りの雨がさらに視界を奪う。
白馬大雪渓転がるように大雪渓を目指し二時間弱8:17大雪渓の最上段に達した。
すでに数パーティがアイゼンを装着しているところであった。我々も小屋で借りた軽アイゼンを着け雪渓に入る。視界は悪く、数十メートル先までしか見えない。大と呼ばれるだけあって白馬大雪渓は幅が広く大きく長い。雪の上には無数の落石が落ちており、日常的に落石が起きていることを物語っている。
この雨の量である、尋常ではない雨で、落石も起きるに違いないと考えた私は一目散に下山を進めたが、山荘から1700m高度差の大雪渓は長くて疲れてくる。
そのうえ急ぎすぎたのか大腿四頭筋、ふくらはぎが筋肉痛を起こし始めたのだ。
これはまずいではないか、明日に響きそうだが今そんなことは言ってはいられない。危険地帯から脱出することが先決だ。

2時間半休むことなく歩き続け、ようやく安全地帯である9:08 白馬尻に到着し休憩できた。ここには本来白馬尻小屋が営業しているのだが、コロナ過の影響なのだろうか姿も形もなく広場の片隅にばらして積んであった。
ここから猿倉まで1時間は歩かねばならないのだから、ないのでは登山者にとって不便ではある。雨が止む気配は全いが風はないので助かる。
傾斜の落ちた普通の登山道を行くのだが雨のため川と化しており、一部ではわきの壁から滝となって吹き出していた。
そのうち林道に出たのでもうすぐ猿倉山荘につくのかと期待したがなかなか見えてこない。林道から右へ入る小道がありまもなく10:31猿倉山荘が現れほっとした。
 
バスで白馬駅に向かい、そこからタクシーでゴンドラ駅の近くでこじんまりした家族経営のまるに旅館へ着く。高齢者登山者は無理をしてはならん。
さっそく温泉に入り前半の疲れをいやすが太ももとふくらはぎの張りは明日への不安をあらわしていた。夕食は高い(¥12,800)だけあって食べきれないほどであった。ハイシーズンであるにもかかわらず、宿泊客は少なく、我々を含めても10人を越えていない。白馬岳周辺はスキーが最も稼ぎ時だろうが、それにしても少ない。

7月20日
まるに旅館の若主人にゴンドラ駅まで送ってもらって来てみるとチケット売り場には誰もいない。今回の北アルプス山行はどこでも人出が極めて少ないのはなぜだろう。昨年のようなキリキリするような感染抑制がされなくなっても、出てこないのは山への関心が少なくなったのか、または面倒くさくなったのだろうか。
人で溢れるのも嫌だが少なすぎるのもさみしい。
8:15 八方池山荘につくと途端に人出が増えた。どうも八方池山荘に昨日から宿泊していたらしい。すぐに歩きやすい岩畳の道を登り、ケルンを目指すが大腿四頭筋とふくらはぎが痛くて足が上がらない。情けないほど一歩一歩が苦痛なのだ。
 
昨日の大雪渓下りがこうまで影響するとは考えもしなかった。
少し抑制して下れば快適な登りができたはずだがもう遅い。
杓子岳や鑓ガ岳を写す八方池が右手に見えてきたが、山はガスに覆われ鏡のような美しさは見られないので今はパスした。
明日に期待しよう。本当は足が痛くて池まで行くのができなかったというのが真相ではある。そのうち森林限界を越えているはずなのに突然ダケカンバの林が出てきたのには少し驚いた。林はもう少し上がったところにもあったので、ここ八方尾根独自の稙相の逆転というやつらしい。初めて見た。ふつうは逆転などありえないのだが何か理由があるのだろうか。天気はぱっとしないが高山植物の種類は相変わらず豊富で興味のない私でもついカメラを向けてしまうほどだ。植物好きな人には最高の時間であることは想像に難くない。
 唐松岳山荘が近いと思われた頃よりあたりはガスに覆われ、何も見えなくなったのにはがっかりした。

            ガスが深くて何も見えない


12:30 唐松山荘到着。部屋は三人ブースを二人で使用し快適。それより、食堂は真新らしく感じられストーブもあり超快適であった。部屋の前でストーブにあったていた人としばし話し込む。
アルプスの生の情報や山小屋での裏話は、ネットでも得られないだけに面白い。
 
7月21日
朝食の後昨日登ることが出来なかった唐松岳に行くと、そこには通ることがかなわなかった不帰の倹、鑓ガ岳、杓子岳そして遠くに白馬岳さえも見通せていた。
唐松岳山荘前の砂礫地におなじみのコマクサが大量に咲き、バックに五竜岳だ。
穂高連峰の急峻な光景とは違ったやさしくも力強い後立山を感じる。

     夜明けは一瞬ブルーの染まり、深紅へと変わる

       牛首まで行き、はるか向こうに五竜岳をのぞむ


8:00名残惜しいが下山開始する。昨日あれほど足が痛くてやっとの思いで登ってきたが下りはさすがに楽ちんである。岩場では段差で大腿四頭筋が痛くなるものの、なだらかな坂道では痛みはすくない。いつもだと飛んで降りれるような登山道だが、急ぎたくてもそれができないのはやはり無理のできない年齢になってしまったことは認めざるを得ない。

 

    天気が良ければどのように写しても観光写真になってしまう


八方池に到着し、池の面に写る天狗尾根、不帰の嶮は観光写真に出てくるままで、見ていて飽きることはない。11:15 八方池山荘、12:00 白馬駅。
ともあれ山行は終了し、電車で信濃大町まで出て味噌ラーメンを食べると塩味が身に染みた。
7月22日
 大町駅よりタクシーで大町山岳博物館へと向かった。一度は来てみたいと思っていたのだが実際に来ることが出来ないともあきらめていた。地理的、地質岳、生物学、民族学、そして山岳的にと多方向にバランスよく展示してあるので見ていて飽きることがなかった。
 特に切れたザイル事件の実際に切れた若山五郎さんのザイルとアイゼンが展示してあるので感慨深い。
 ここの博物館に付属して山岳図書館があると聞いて係員から鍵を借りて中に入ることが出来た。中は湿度と温度が管理されており数万冊の山岳関係図書が収蔵されていた。

    インターネットでは到底見つからない資料はここには有る


一通り見て廻ったが寄贈された本で構成されていることにすぐ気が付いた。
おそらく山岳図書を収蔵していた人が亡くなって遺族が離散しないように寄贈したものだろう。その寄贈した人の本が棚別になっているので収集山域などの傾向がはっきりしているのが面白い
やはり信州が中心であるために中央山域が多く地方の山は少ないのは仕方ないだろう。それでも旭川山岳会会報、えぞ山岳会会報などがあったのでうれしくなった。