蒼氷の壁 第五章

蒼氷の壁 第五章

1月2日

7:00 C2発

3P目 35メートル 昨日終了したアンカーまでユマーリングで登り返し、私からリードを再開した。
15メートルで灰の凍った壁を登るとハングしたブッシュ壁に突き当たり、思案しているとき、目の前に残置ボルトと凍り付いてブッシュと一体化したスリングがあった。
ははあ、ここから降りたんだ、ということはこの場所が一つ目の核心に間違いない。被っている壁の岩をジャンピングでたたいてみると、幸いなことに手ごたえがありリングボルトを打ちエイダーに乗る。
3本目を打ったところから傾斜が若干落ち、ブッシュも出てきたのでハングを越えることが出来た。
ただし先の見通しは相変わらず良くない。それでもアックスの利く氷が存在し20メートルで瓦を重ねたような壁に到達。平型ハーケン、イボイボ、頼りないブッシュでアンカーを作る。
 フォローの坂本は汗をかきながら重いザックを背負いユマーリングして上がってきた。心なしか少し元気がなさそうに見えたが気のせいか。
 
4P目 40メートル 少しルンゼの幅が広くなってきたように見えるのだが、基準にするものがなくルートの半分を過ぎたのかはわからない。
10メートル登ったところでダブルアックスにしていた左のピックがわずかな動きで突然外れた!
右で持ちこたえようと踏ん張ったが、無常にも右もはずれ落下してしまった。めまぐるしく視界がぶれ大斜面に向っておちていった。長い時間に思えたがわずか数秒だろう。
上から捕まれるような衝撃で停止した。プロテクションはブッシュであり、しなったが折れることなく5メートル墜落し、坂本のすぐ横で止まった。

「だいじょうぶか!」
「ああ、どこにも当らなかった」
「慎重に行け、ためらわずエイドで行け、フリーにこだわるな」
「言われなくてもこだわらないさ。すべての手段で抜けるんだ」
 アンカーは頼れそうにないブッシュ。

5P目 30メートル Bフェイスの中間にA2セクションがあるらしいがここCフェイスには今のところ見当たらない。
さりとてやさしくなるわけではなく、相変わらず微妙な動きを要求された。ガスで定かではないが、上部に明るさを感じる。
時間はすでに15:00を過ぎたが目処がつくまではいかない。
坂本は気のせいではなく、意識は正常でも手の細かい複雑な動きができない様子がみえた。ロープの扱いに時間がかかり、寒気ふるえがあるようだ。

6P目 35メートル 今までほぼ垂壁だったが、ここから若干傾斜が落ちてきた。登攀スピードが上がり始め、灰が凍った壁を登る。
坂本の動きが遅くなってきたのでアンカーを構築したあと、坂本のところまで下降しザックを引き受けユマーリングで戻る。
坂本は空身になったが動きは緩慢で辛そうだ。

7P目 30メートル ダブルアックスで15メートルほど登っただろうか、傾斜が突然なくなり、眼前に吹雪で霞む城壁がそびえていた。
我々はダイヤモンドフェイスの基部、すなわちBフェイスの右に抜けた。

「抜けたぞ! おれ達はCフェイスを登ったんだ。初登攀だぞ。しかも冬期初登でもあるんだ」
「ああ、そうだな、うまくいった」
「坂本、お前ふるえているな。寒いのか」
「ユマーリングで汗をかいて冷えた」
「すぐ雪洞を掘るから少し待て」
 

Cフェイス終了点から左へ20メートルほどトラバースしバケツを掘る。坂本にツエルトをかぶせ、硬くしまったダイヤモンドフェイス基部を掘り、一時間半で二人が入れる大きさにしてC3とした。

18:00 C3完成
雪洞入口横で待機していた坂本を何気なく見たとき、強い違和感があった。私のザックはあるが彼のザックが見当たらないのだ。
 左右見ても、すぐ下を見ても見当たらない。

「坂本、お前のザックはどこだ!」
億劫そうにこちらを見つめた。
「そこにないか」
「見当たらないぞ!」

改めて周囲を探したが、ないものはない。
恐らく到着と同時にザックを肩から下ろし、固定することまで頭が回らなかったのだろう。
ザックははるか大斜面を落下し、西大空沢まで飛んでいったに違いない。これでガスヘッドはあるにしてもボンベが何個あるのか、食料がどのくらい残っているのか私のザックから出してみなければわからない。
食料、燃料、ツエルトなどは完全に分けることなく平均に持つことが今回幸した。ただ計算が狂ってしまったのには違いない。停滞の余裕がどのくらいあるだろう。
坂本の様子は明らかに普通ではなく、低体温症の軽症に陥りかけていると判断した。充分な保温と食事を与えねば体力の限界を越えてしまう気がして、不安が高まった。すぐに坂本を引き入れ、シュラフに潜り込ませたが夏期用ダウンのため保温力に限界がある。
それでも湯を沸かしお茶を飲ませたところで寝息を立てたのでほっとした。
ザックをひっくり返しボンベは二個残っていたが一個はすでに空、もう一個も残りは少ない。
 
ローソク岩正面壁Cフェイス初登という記録を立てたとはいえダイヤモンドフェイスを登り、ローソク岩を登りきって初めて完登といえる。
後はダイヤモンドフェイスだけが最後の障壁になるのだが、先人の記録から得た情報によると、それほど困難ではないらしい。
記録にはⅣ級以内の6ピッチで、ローソクリッジに出るとあり、天候が良ければ問題ないと思う。
冬であっても、どちらかといえばやさしいほうだろう。
ただし、Cフェイスの陰鬱な重圧感は感じないのに、不安感は増してくる。答えをあえて知りたくない自分がここにいる。夜になり風と雪の勢いが激しくなってきた。
                      第六章へ続く