2016年4月函館山南壁墜落事故
2016年4月朝、私は函館山南壁の基部にいた。天気は快晴無風。遅い北海道に春の到来を告げるような陽気となり、モチベーションはイヤでも高くなった。
ルートは『見掛け倒しのクラック5.8』決して甘く見たわけでは無かったが、心のどこかに5.8という意識は確かにあったのは隠せない。
取付きは土の平坦なテラスで、安定している。私がリード、ビレイは仲間。
安定しているテラスだから0ピンは取らず、2mほど登って気がついた。
1ピン目のプロテクションが見当たらないのだ。壁は若干寝ており、その先は徐々にハングして、ハンドクラックになっているのが目に入った。そこまで3〜4mだろう。そこまで行けばプロテクションはカムで取れる。これは間違いであったのは言うまでもない。
スタートから2m以内に1ピン目を取り、その先2ピン目も速やかに取るのは、分かりきっているはずなのに、急いだのだ。4mを越え、クラックに手が届きそうになった瞬間、右手のホールドが剥がれた。
あとは耐えることが出来ず、4m下の取付きまで真っ直ぐ落ちたのだ。
いわゆるグランドフォールだ。
左足から着いたが、瞬間に激痛が襲い、急速に腫れてきた。当然足が着けない。骨折は疑いようがない。ここから脱出するには急な、道無き道を登らなければならない。しかし、歩くことは無理だ。さいわい私は軽量、パートナーは強力なクライマーなので、申し訳ないが背負ってもらって脱出する事にした。
とはいえ、ブッシュの生えた斜面は簡単ではなかったが、車に到着した。更にギアを回収してもらった。救助要請せず、とりあえず自力下山なので、ニュースにはならなかったが、立派な遭難だろう。函館市内の整形外科に診察してもらうと、踵の粉砕骨折であると告げられ、レントゲン写真を見せられた。そこには見るに堪えないほど粉々になった踵があった。ああ、これで山屋の人生は終わったと観念した。足首を固定するシーネを付け、札幌までパートナーの運転で高速道路をひた走り、私は病院の確保に電話を掛けまくった。幸い病院の目処がついたのだが、その瞬間から激痛が襲ってきた。それから3ヶ月の長きに渡り入院生活となったのは言うまでもない。一瞬の判断、甘い考えの報酬は厳しい。
退院してからリハビリに励んだ結果か、わからないが、10月には低山ハイキング、翌年にはようやくクライミングに復帰することができた。
それから6年、クライマー人生の最終回まで来たことを実感している。
正面左上部辺りのホールドが剥がれた 完全な確認不足