恵庭岳 滝沢1986年

恵庭岳 滝沢 ピークま

あまりに遠い苦行難行

1986年8月10日

 8月10日

後続グループの3名が頂上直下の最後のピッチに入り、一人一人
が頂上に姿を現した時、既に頂上で待っていた先頭グループは感動を持ってこの3人と握手を交わした。

6:08滝沢登山口発、6:23 F 1 着、密林と言いたくなる森の狭い道を奥へ奥へといくとF1が我々を圧倒する。壁全体が苔に覆われ、中間部から上部にかけて大きな岩がせりだし、バング帯を形成しており、その岩が今にも崩れ落ちそうだ。
当初の予定通り、時間節約のため、ルートを左、中央、右と3つにとり、6人が3組のザイルシャフトになり苔付きの壁を登攀開始した。
左、中央は抜け口の下までほぼダイレクト、右は取付地点が他より8m程高く、トラバースして抜け口の下にでる。右ルートをとり、最高部を登っていたSMから『上部は浮石が多く、それも大きな岩が浮いているので、落石が起これば左、中央を登っている2名そしてその真下でビレーしているKM、KSの4名に当たる可能性がある。これ以上は危険だ』と言ってきた。

昨年の暮れから度重なる落石事故を経験してきた我々は、すぐにF1を下り、断念して巻くことにした。 7:30 F 2 着、F2はほぼ垂直の壁で、右端ジェードルが既成ルートである。クラブで『一番若いTY君』がそこをリ-ドする。フォローするのは先週ペテガリB沢を一日で抜けて肺炎になったというナベサダことKM。
『肺炎なのにどうしてきたのだろう!?家で寝ていればいいものを…倒れてもしらないヨ~』と誰しも唖然としてしまった。重病人らしく息をするのも苦しいらしい、息咳切らして何とか登っていった。他の4人は何なく登ってしまった。
 F3~F5ノーザイルで通過。

  冬のF1 浮いている岩が多いので高巻くことが多い

8:00 F 6 到着。左ルートはスラブ状にホールドがけっこうありフリーでいけるが、右ルートは中間部あたりが厳しくA0となる。9: 20 F 7 到着。右ルートは下部から中間部上まで段階状になっているが、最後の抜け口がスラブでトラバース気味となるためきつい。
左ルートは右斜めにクラックが走っており、完全に乾いておりフリクションが効く。F1は裸足で登ってスゴンでいたイレブンクライマーのYNが新ルート開拓と意気込み、チーターを取り出した。ところが如何せん実力が今一か今二。墜落の連続で、結局既成ルートに甘んじてしまった。残念!

            6P目同時にスタート
 
10:00 F 8、ノーザイルで通過。
10:30 F 9到着。登攀対象となる最後のF9は高さがある割に迫力がない。壁全体が寝ているせいなのだろうか。浮き石に注意して何なく登ったが、ここからの景観はすばらしいものであった。いつの間にか支笏湖の向こうに風不死岳が雄姿を現した。
時間的余裕があれば頂上を目指すつもりだが、リーダーのKMが肺を患っており、更にクラブで『一番若いYN君』が風邪を押し通してこの山行に来ているので、誰も本当に頂上まで行くとは思っていなかった。
リーダー『Y!大丈夫か!?いけそうか』
YN  『なんとか大丈夫です』
リーダー『ようし、行くべ~!!』
 
鶴の一声、否肺炎の一声で決まってしまった。頂上を目指すのだ。全く肺炎ではなく、日本脳炎だったのではなかろうか。
うちのクラブはクライミングが主体だから、誰もが軽量化を考える。今日は水だった。1人せめて500ccくらい持っていれば問題はなかったのだが、6人のトータルがたったの1000ccだったのである。難行苦行の山行がこれからはじまろうとしていた。
F9からF10のガレ場を登っている時ガスが出てきたが、ルンゼは明瞭でこれをつめれば頂上に続くリッジに出られると思い、ただひたすらルンゼをのぼっていった。標高1000mを過ぎた頃、ルンゼが不明瞭になり、どうあがいてもブッシュ遭ぎを強いられるハメになった。

ひたすらブッシュこぎ、高度をかせいでいると、突然ガスが晴れ、目前に大岩壁がそびえ立っていた。基部までやっとのおもいで着くと、残り少ない水を皆で飲みほした。『ブッシュマン行け!』と命令が飛ぶとTKはフィックス用ザイルを下げて登っていった。『早く頂上へ着き、そして下りて水を飲みたい』ただそれだけを思い登るしかなかった。 11:45 リッジに到着。

       頂上より爆裂火口 右のリッジを渡る

『頂上はどこだ?アレ~、はるか向こうではないか』我々は随分右へ寄ってしまったらしい。 リッジ上のハイマツに足をとられ、そしてようやく頂上直下の火口跡におりたった。
水が飲みたくてどうしようもなかった。『水がのみたいよ~』とわめくと、横で36才独身のSMさんが『##、#だ!』とわめく。人間究極に立つと本心が表れるらしい。最後の気力をふりしぼり、へとへとになりながら頂上へ達する。
一番乗りを果たしたSMは恥知らずのごとく他の登山者らより水を調達していた。一方、後続グループは頂上直下の最後のハイマツブッシュに入っていた。
 KSが先ず現れた。きょうのクライミングチームの紅一点である。『終了点はこっちだ』と駆けよった瞬間、彼女の姿が悲鳴と共に視界から消えた。ホールドにしていた枝が折れ、墜落したのだった。慌てて救助に行くと、幸いにも片足が枝にひっかかって逆さまの宙吊りの状態だった。どこにも怪我はなかった。
15:30 ここに出発より9時間22分におよぶ登攀が終了した。(TK)

   ブッシュのリッジを行くが、当然道などどこにもない

            右がブッシュのリッジ


滝沢は主に積雪期にアルパイン・アイゼントレーニングとして登られている。
それもF9で引き返すのが通例となっている。
それ以外では春、秋がほとんどで、少なくてもブッシュが盛りの真夏に恵庭岳頂上まで登るのは想像するより厳しい。
少なくても水を充分持つ必要は、この記録を読まなくても当然わかるだろう。
上記の記録は若さゆえの暴走と言える(充分反省しているが)