山岳遭難を考える


山岳遭難事故はニュースに大きく報道され、SNSなどのネットでは自己責任だから捜索する必要はない、費用は全部自分持ちだ等非難ごうごうだ。
 しかし、事故発生から一週間もたたないうちに何の話題にも上がらなくなっている。
 そのままいくら日数がたっても、見つかったとも発見できないままとも報道されることはない。
 トムラウシ大量遭難や、那須高原雪崩事故などの大きな出来事がなければ、誰も思い出すことはないだろう。
 当事者、関係者が事故の検証を行い、報告書を出すことは昔に比べてまれだ。
 山岳会が隆盛を極めた当時であれば、どんな形であれ必ず検証し、報告書を出すことにより二度と同じ事故を起こさないと誓ったのだが、それも今は少ない。
 現在、組織力が弱まり、個人的な山行やSNSで集まった緩いグループでの山行が大半となってしまった。

 このページでは私が経験したり、事故現場を訪れ状況を検証した例や、印象に残った過去の遭難事例を紹介したい。
 さしつかえない限り実名を出すべきなのだが、プライバシー重視の時代にあって匿名で書くことにした。
 すでに終わった過去を検証することに今さら蒸し返してどうなる、とか事故の真実は当事者にしかわからないと嫌悪感を示す人がいる。
 確かに当事者にしかわからないことが多いのは事実だが、事故当時者(死亡した場合)にはわかり得ない客観的事実は検証者によって明らかにされることも多い。
 山に人生を賭け、心ならずにも亡くなってしまった人にとって、忘れ去られてしまうことは本望だろうか。
 人は亡くなってしまっても、その人を覚えている人がいる限り、死んではいないという考え方がある。亡くなった人のためにも教訓として検証したい。
 SNSを中心とした伝え聞く情報だけでは概要しかわからないことが多く、気になった事故は現場を通過する山行を組んだものや、現場を通ったことがある事例、経験したことは出来るだけ詳細に記載した。残念なことに、私の所属している山岳会においても過去三名の死亡者を出している。それに関してもいくつか載せていくつもりだ。
出来る限り遭難報告書を入手し、場合によっては直接関係者とコンタクトを取って客観性を保つことを心掛けた。
客観的資料をそろえても、専門家ではない私の記事は不完全であり、独断的結論に至るかもしれない。
 決して遭難者を一方的に非難するわけではなく、事故に至る経過と防ぐ方法がなかったのかを考えて書いている。一つの考えとしてとらえて頂きたい。