黒岳 北稜 1989年

岳北稜

1989年2月11日~12日
                       
2月11日
層雲峡での気温は-22℃と低いが、天気自体は最高なので今日中に登れるところまで上がろうと11:20ルンゼへ下降し、氷結して安定した斜面をトラバースし北稜へ渡った。

末端壁ルート12:00開始

     敗退した人工ルートは難しい

1P目V十 A1 20m 、OK
風がなくてもとにかく寒く顔がビリビリしびれてくる。ジェードルを直上するとバングしており人工となる。アン力―は全く見当たらずピトン2本でつくるが、効きは悪く墜ちたら吹き飛ぶかもしれない。最初の2mは砂の固まりでかなり緊張する。 残置ピトンは2~3本しか見当らず、しかもすべてが浮いているらしくリードしながら何やら叫んでいる。フレンズ2番キャメロット4番でクラックを抜け、左上してピッチを切る。

2P目、IV A1 SM
左上トラバース気味に進むが、残置が全く見当たらず、しかも八ング帯が頭上にある。当然人工となるが、あまりにピトン類が足りなく、ナッツを効かせるクラックもないので、ここで早くも敗退と決め、あやしげなアンカーを作り下降する。たったの6mだった。15:30終了。

        9合目に雪洞を掘った

2月12日

雪洞を掘ったがガスを焚くと非常に暖かく快適だ。朝起きて表を見ると、昨日とは違い天気は小雪で気温は暖かい。とはいえ-15℃程度はあるだろうか。ノーマル・ルートOK~SMの順でつるべ。
1P目 30m
8:25開始
末端壁より30m程回り込み、垂直なブッシュを10mで立ち木のアンカーによりブッシュを直上し、第一ステップに出る。
2P目、40mほとんどがブッシュで易しい所を登り赤いチャペルに出る。
3P目、40m赤いチャペル基部を右へ回り込みトラバースする。
4P目、30m全くのブッシュを進み、突然現われた垂壁をフレンズを使ったワンポイント人工で越える。

            赤いチャペル


5P目、50mここもやさしいブッシュを進み本峰壁基部に出る。
6P目、20m正面壁は、時間と技量に制約のある我々にとって対象ではなく、
右へ大きくトラバースする。
7P目、20mそのままトラバースを続けアンカーをみつけて切る。
8P目、25m階段状と記録のある凹角を直上雪を払って残置をさがすが難しくはない。急に頂上へ出てハイ松でアンカーをとる。  13:10終了・
 
ノーマル、ルートは項上へ出るおもしろさはあるが、あまりにブッシュが多すぎて技術的に見るべきものがない。やはり末端壁、正面壁をつなぐルートをめざすべきであろう。 その為にもピトンやボルトを充分用意して取り組みたい。
下りはリフトまでスキーで滑って降りたものの、急傾斜のスキー場を滑る自信がなく下りのリフトに乗せてもらうことにした。スキー場を滑ることなく、下りのリフトに乗るやつは今までほとんどいないらしく、係はあきれた顔をして乗せてくれた。無論OK氏の視線は冷ややかである。  (SM)                                                           

黒岳北稜はほとんどが冬に登られているが、7月に登ったことがあった。
9合目あたりから登山道を逸脱し、懸垂で火口原へ降り立った瞬間、足元の岩が崩壊した。体が目まぐるしく回転し、黒岳沢へ転落すると思われた時ようやく停止した。冬に凍結している足元が、夏には脆いという想像力が欠けていたのは言うまでもない。
危険地帯はまだ他に待っていた。取付きに行くためには火口原の外輪に沿って、半円を書くように渡って行かなければならないが、冬にはない問題があった。 北壁からの落石がひっきりなしに落ちてくるのだ。足元に注意を向ければ上部がおろそかになる。逆も同じ事だ。ようやく取付きに到着した時点で、私の心のダメージが大きく、リードは北大の学生であるTF君にすべてお任せしてしまった。頂上の終了点に到着した我々を待っていたのは、国立公園監視員の厳しいお叱りだった。

 

     黒岳北稜は正面壁を右に回り込んだ所が取り付となる