屏風岩登攀記 石岡繁雄
戦後登攀史に輝く穂高屏風岩中央壁 中央カンテ・インゼルルート初登の全貌を記した名著 『屏風岩登攀記』である。
神戸中学の教員であり、山岳部部長であった石岡繁雄と仲間は屏風岩にルートを探して4度もトライしたものの、ハングをどうしても越えることができず失敗に終わった。その登攀不可能と言われていた未踏の大岩壁に、石岡ら3人のメンバーによるアタックは、1947年7月24日、始まった。傾斜は強いが細くて弱いブッシュに悪戦苦闘、細いスタンスから上の木に飛びついたり、カラビナを分銅代わりに投げては手繰り寄せる手段で戦った。延々2日間に渡った。
貧弱な装備で弱点を探しながら何度も攻撃を続ける石岡たちの戦いは壮絶だ。
「そのままそこで待て、松田がトラバースする」
「確保がぜんぜんできません」
「しなくてよろしい」
え!そんなんで良いの?現代の確保理論では到底あり得ない。
ついに松田と本田が登り切り、屏風岩は彼らの手に落ちた。
「執念の粘り」こそが石岡繁雄の真骨頂であり、昭和三十年のナイロンザイル事件をめぐる真相究明の実験と巨大な権威との訴訟。一歩も引かない男の生き方に憧憬を覚える。軽くて便利なハイテクギアで武装し、ネットの情報と完璧なルート図をもって登るような私たちとは、次元が全く違う。
今では東壁、東稜に人気が移り、中央壁や右岩壁は、ほとんど登られていないと思われる。とはいえ、屏風岩が最初に彼らの手で落ちた事実に変わりがない。
この本は古本でハードカバーではないが、表紙のイラストは秀逸で素晴らしい。
その上、なんと石岡繁雄さんのサインが入っていた!
屏風岩登攀記 昭和49年9月 石岡繁雄