利尻山 南稜 1989 年

利尻山南稜

低気圧は、前線はいったいどこへいった   

1989年5月2~5日 
 
5月3日
9:30、すぐに予約してあったジャンボタクシーに乗り、鬼脇へと向かうが利尻山の頂上付近はガスの為よく見えない。やはりここの天候は常に動いて安定していない。
10:00、林道終点。
ヤムナイ沢の渡河近くまで車が入ったので、およそ1時間近くは得をしている。
10:25に入るが見るからに雪は少ない。
11:40砂防ダム。
東壁の方を見るとガラガラとひっきりなしに落石が落ちて来るので、大槍パーティはこれ以上入らず、C1とするらしい。我々は、すぐ横でアイゼンを付け、快調に上がって12:40リツジに出た。 ウーンとうなるくらいのハイ松の海だが、ヤムナイ沢側の端はなんとか通れそう。 ブッシュに入ったり、雪庇の上を歩いたりしていると、ガスが突然切れ、東壁が姿を現した。
13:40頃よりすじ雲が現れ日輪こそ被っていないが、どうもあまりおもしろくないの出方であった。 すぐに山頂付近はガスで見えなくなった。
14:50 1200mピーク。
カレ草でフワフワになつて,いる天場を確保しC1とする。 鬼脇をながめながらの夕食はジフィーズながら,リッチなものである。
少々早いが寝にした。 外はすでに10m先見えな濃いガスであった。

        リッジはすでに春の陽気であった

5月4日
早く寝たので2:30には目を覚ましてしまった。ガスが濃く視界が約20mとあまりないが、それほど暗い感じがしないので出発とする。
4:20 C1を出て、ブッシュの中を1300mPまで進む。
懸垂でリッジ下へ降り、最低コルヘ向けて進むが雪が非常に少なく、半分はブッシュをただ上がり下りをしているし、視界も全くきかないので、まるでそこいらのヤブ山と何ら変わりがない。リッジが狭く、傾斜もきついのでスタカットで越えていく。
 ミルクのようなガスで二もさすが南稜3回目のTIは、手探りの中確実にルートを探していく。窓の下部は通常下をご大きく巻いていくのだが、雪の少い今回は通過が不可であり、窓の右測壁に沿って直上しリッジに出た。

6:00 (交信)。
AHパーティ(大槍リッジ)は小雨が降っている為にまだ動いておらず、SWバーディ(仙法志2稜)はエスケープルンゼ付近にいるが、やはり雨の為ルートが判明せず様子をうかがっているとのことであった。スタカットでリッジを進んでいくが見通しはあい変わらず悪く、どこを登っているのか皆目見当がつかない。
7:00細いリッジに出た頃、どうやら大槍に着いたらしいとTIに言われた。    右手が大槍だろうとのごとだがガスの為何も見えない。
「そうか、これが大槍か」と納得して左斜面をトラバースすると、そこは仙法志稜とのジャンクションであった。
1~2日くらい前に通過したパーテイのビバーク跡が残っていた。
ガスの濃度が高くなり、体の内側から濡れ始まった。風も大空沢から吹き上げが強くなってきた。小休止して行動食をたべる。

   霧吹きで吹かれたようなガスで全身がバリバリに凍る


9:00出発。 ブッシュを直上し、2P目は細い岩稜でおもしろい所である。
ここ上がり切るといよいよP2の頭である。 懸垂用のアンカーは話に聞いていたよりは、しっかりしているので心配ない。
西大空沢寄り吹き上げる風にザルが空中高く舞い上がり、下降も慎重になった。
2P目を下る頃には、ザイルがバリバリに凍結し下降器のブレーキがききづらくなった。P2を下降すると、もう戻れない。後はP1~バットレスと行く以外にない。前進してビバークするにしても雪の少ない今回は厳しいものがある。

12:00  P1取り付(交信)AHパーテイもSWパーテイも今日は停滞に決めたらしい。どうやら動いているのは我々だけらしい。渡辺Pよりの情報によると中国東北部に低気圧があり、北海道上部へ接近中、そして今夜半から大荒れの天気となり! 明日後半まで天気は悪いとのことであった。やはり今日中に南峰まで抜けねばなるまいとの結論を出した。もつとも時間的には何とかなる前に着けそうなので、追いたてられる気分ではない。 P1は直上し、途中より左ヘトラバースして肩に出た。

    フォローは肩がらみでビレー

13:00  P1ピーク。
ここからバットレスへのコルは西大空沢より吹き上げる風がすさまじい。
トラバースしていして行くTIをビレイするザイルが空中高く舞いあがり降りてこない。しかも視界が10m程に落ちているので空中で消えている。
彼の動きが全くわからないのでカンでザイルを送りざるを得ない
こんどはこちらがトラバースしていくのだがホイッスルも声も何も届かぬ為ビレーしてくれているのを信じて後ろ向きのダブルアックスで降りていく。

14:00  バットレス取り付まで来ると9mmザイルが18mmザイルへと成長し、カラビナは氷づけで開かずバイルでたたいて使う始末。
ザックもヤッケも全てにべルグラが付着しようとしていた。
SKと二人でザイルの氷をしごいて落とし、リードするTIをビレーする。
15kg近いザックを背負い、TIは最後の、そして最難のピツチにいどむ。
 
バットレス1P目 35m
バラと氷のかけらが降って来る中、残置アブミを越えバンド右ヘトラバース、そして凹角にりボロボロの氷柱を抱く姿勢から左へ移りハイ松テラスへ出る。

15:30 交信
我々のめどが付いたことを他パテイヘ伝えると返ってくる声がこころなしか明かるくなった。
2P目 30m、ブッシュを左上し直上、右へ回りこみ小滝下でピッチを切る。
3P目40m 3m小滝を右から左に回りこみS字ルンゼに入り10mでピッチを切る。
4P目 40mこのままS字ルンゼを登りつめバットレスの頭に出て終了。
17:30バットレス頭
ここから南峰の基部までは、強い西風の為コンテで進み基部の東側へ回り込み18:00やっと着き、長い登攀が終わった。BV地点を南峰基部東側に掘り下げ、約1時間で3人用エスパースを張れる広さが確保出来た。
 
これでいくらでも停滞出来る。なにはともあれまずは中に入り熱いココアとジフィーズの極貧デイナーを食べたがそのうまさはとても筆絶につくしがたいものがあった。ザックや体に付着したベルグラが解け始め、テントの中はいつのまにか水びたしとなった。ザック、ザイル、ポリタンその他あらゆるものを敷き詰め、何とか寝床を作り上げた。22:00ふとなにげなしに外を見ると、そこには信じがたい光景があった。なんと稚内の灯が見える!そのうえ夜空には満天の星がまたたいているではないか!
低気圧は、前線はいったいどこへいってしまったのだ。唖然として我々は外の夜景に見入るばかりであった。
困難な条件下を乗り越えて来た喜びはあるとはいえ、逆にどうして行動したかという思いも残った。天候の判断ほど難しいものはない。 23:00就寝。
 
5月5日
ずぶ濡れの寒さで目が覚めた。今日は西大空沢へ下るだけなのであせる必要はなく、のんびりと朝の支度をはじめ、一人でバットレスの頭まで行き雄大なながめをたんのうする。南稜を見下ろすと眼下には待望の光景があった。   
確かに、ここを通って来たはずなのだが、記憶に残っているのは乳白色のガスだけだ。

8:30 C2を出て本峰を越え、を少し下り左ヘトラバース沓形稜へ入っていくが氷化した雪は歩きにくい。 上から見下ろすと、ずいぶんパ-ティが入っておりにぎやかだ。西壁はローソク、左リッジ、中央リッジ、グローブ雪田、仙法志稜などが一望にできてすばらしい迫力だ。 三兆山のコルを下りあっというまに西大空沢に着く。
思えば屈辱の敗退をしてから苦節2年(?)やっと越えたバットレスであるが、心の中に何か納得出来ないものがのこった。それが何である。か答えをみつ
ける為に又登りたい。                        (SM)


利尻山は気圧の配置次第で春から冬へ激変する可能性が高い。
この時も西高東低の冬型になり、前線も利尻にかかっていたので霧雨状態になり、風強く霧が体のあらゆる部分をベルグラ状態にしてしまった。
幸い気温はそれほど低くはならず、行動続行とした。
C1から南峰基部まで視界は20mを越えていなかったと記憶している。
つまり、登行している間は、利尻山の絶景はまったく見えなかったということになる。

          三兆山より西壁全景