ナイロンザイル切断事件

ナイロンザイル切断事件


2015年8月27日
新村橋を通過すると中畑新道の手前、砂防ダムの林間に遭難慰霊碑があった。
その時は昔、ナイロンザイル切断事件があったらしい、としか思いが及ばなかったが、前穂高岳東壁を目指した我々は天候の悪化により敗退し、帰宅して事件のことを詳しく調べてみた。

昭和30年(1955年)1月2日鈴鹿市にある山岳会の岩稜会メンバー大学生3人が、初登を目指して北アルプス前穂高岳東壁~Aフェイス登攀中、一人が50cmほどスリップした時、頭上の岩にかけた新品の8mmmナイロンザイルがショックもなく切断し墜死した。このころマニラ麻を編んだ重く扱いが、面倒で濡れに弱い麻ザイルから、軽く岩角では絶対に切れないとされたナイロンザイルに切り替わる時期でもあり、その安全性を疑う者はほとんどいなかったという。
遭難した岩稜会の会長に石岡繁雄さんという三重県立神戸高等学校教諭が、マニラ麻の三倍も強く1トン以上の強度を保証つきといわれた8mmのナイロンザイルが、たったの50cmの落差で何のショックもなく切れたことに疑問を抱いた。
石岡さんは1947年夏に登攀不可能といわれていた穂高屏風岩中央岩壁の初登攀したベテランでもあり名作「屏風岩登攀記」という本でも知られている。
石岡さんは名古屋大学の工学部電気工学科を卒業していたので母校に簡易ではあるけれど実験装置を作り岩角に60kgの重りを落としたところ8mmのナイロンザイルは切れてしまった。ナイロンザイルの欠陥を確信した石岡さんはナイロン繊維を作っている東洋レーヨンと、編んでいる東京製綱に危険性を訴えたところ完全に無視をされてしまった。

さらに一部の登山家から結び目が解けたのではないか、アイゼンで踏みつけ傷をつけて落ちたのだろうという中傷まで出てきてマスコミ上で大論争が始まった。
石岡さんはマスコミを通じてザイルの岩角欠陥を訴えていき、とうとう東洋レーヨンと東京製綱が公開実験をすることになった。それを指導したのが日本山岳会関西支部長で大阪大学工学部教授篠田軍治博士だ。
篠田教授は応用物理学学会名誉会員でもあり著名な科学者ゆえに石岡さんは信頼して委ねたらしい。
同じ年の4月29日東京製綱蒲郡工場で公開実験が行なわれた。ただ石岡さんはじめ岩稜会メンバーは発見されない遭難者若山五朗さんの捜索のためほとんどの人は実験に立ち会っていなかった。 
結果は切れなかった。何度テストしても切れなかった。当然次の日の新聞一面にでかでかと「ナイロンザイルは切れなかった」と載った。
石岡さんは捜索のため奥股白池でテントを張っており、下山途中新村橋で公開実験に立ち会った三重県岳連理事が結果を至急知らせに駆けつけ、実験装置の岩角(金属製)にわずかなアール(曲率半径1mm)がつけられていたと報告した。それで蒲郡実験の不正を確信したという。そんなバカなとなる。
簡易とはいえ自分で実験して結果を得ているのだからどうしてという疑問は当然湧く。
墜落から7ヶ月後の7月31日に若山さんの遺体を奥股白D沢で発見、ザイルは体にしっかりと結ばれアイゼンで傷つけられた様子もなく1mくらいですっぱりと切れていた。
安全を主張する大企業のメーカー、国立大学の大阪大学工学部教授の実験であるため、皆信じてしまった。その結果、風当たりは石岡さんらに一気に変わった。
ここから石岡さんの常人とは違う行動に出た。8月になり再度東壁の現場に行き、ザイルの掛かっていたと思われる付近を丹念に調べた。そしてついにナイロンザイルの繊維がへばりついた岩を発見、その岩角を石膏で固めて持ち帰り、同じ角度の石を用意して再度実験した。結果はやはり切れた。
何度うったえても埒が明かないので不正を行なった公開実験により、売名行為だとか自分達のミスをメーカーに押し付けているなど、いわれなき非難を世間から若山さんを確保した石原氏が受けたと篠田教授を名誉毀損で訴訟を起こした。
その裁判は不起訴になってしまった。マスコミで大騒ぎになっているうちに作家の井上靖がこの事件を記した岩稜会の資料を入手『非常に興味深く読み、これは小説に書こう』と許可を求めに石岡さんのところへ話が来た。『ナイロンザイルを題材にした小説を書きたい。
話を聞きたいので井上宅に来て欲しい』とね。熱心に話を聞いてこう言ったそうだ『社会的にも重要な事件なので小説にして側面から支援したい』と。11月から朝日新聞に「氷壁」という題で連載が開始された。

すべての決着がついてから書かれたのではなく、論争、実験と新聞小説が同時進行になった。小説は判明した事実を元に書かれているので決して一方的に味方をしたわけではない。
それより実験の後もナイロンザイル切断による事故が20件くらい相次いで起こり、世の中的にも疑問が湧いてきたのだった。
ダイナミックロープだから垂壁を垂直方向に落ちた場合切れることはまずない。しかし斜めに岩角を擦ったり、ロープどうしが絡まったりしたら簡単に切れることは販売店から言われるし、タグにもしつこいくらい注意点が記載されているので、ロープが絶対に切れないなんて今は誰も信じていない。
この事件の奥には、心の葛藤や人間性、当時の時代背景、企業のエゴイズムが絡み合っている。当時ナイロンザイルが丁度出回りかけたところなので、欠陥があるということになれば、まず企業イメージが非常に悪くなる。そしてナイロン製品全般が売れなくなる。
この問題がここまでこじれた発端は石岡さんと篠田教授の蒲郡工場公開実験のとらえ方の食い違いも原因といわれていた。
石岡さんはザイルの切断について鑑定を期待したのに対し、篠田教授はザイルの性能つまりナイロンの特質である引張り強度についてのデータを取るためを目的とした。予備実験では簡単に切れるためデータが取れないので、見た目にはわからない1mm~2mmmのアールを45度と90度の岩角につけていた。
篠田教授に厳しい見方だが、すでに完全なる岩角に対して極端に強度が落ちることを承知の、確信犯だったのではないかと思われた。
大企業の強大な力と国立大阪大学教授という権威で、都合の悪いことは闇に葬ろうといった意図がありありと感じられたのだ。

そして原糸メーカーの社員が、篠田教授の予備実験を手伝い、角の面取りしない状態でナイロンザイルが切れたデータを山岳連盟の理事に見せ、さらに不正が証明されたのだ。
それは今で言う内部告発、勇気ある告発だ。その話しを伝え聞いた石岡さんは、神仏はわれわれを見捨てていなかったと心の中で手を合わせたという。また、「この世の中には公平さを装って見学者の目を偽る公開実験をする人たちがいる半面、やはり良心を持つ人がいるのだ、ということを身にしみて感じました」とも語っている。石岡さんのように、自分の信念を貫き通した人はもちろん立派だが、この原糸メーカーの社員のように、大企業のデータ書き換えや実験不正に目をつぶらず、真実を告発する人が闘いの蔭には必ずいるような気がする。

石岡さんの主張が正しく、ナイロンザイルは岩角に弱いという結論がほぼ出て、事故から20年近くたって昭和48年に、通産省が消費生活用製品安全法を制定した。消費者保護法PL法の先駆けになる法律で登山用ナイロンザイルが対象になった。専門委員会が設置され、その専門委員に石岡さんも任命された。つまり国も公然と石岡理論、すなわちナイロンザイルの特性である岩角欠陥を認めたのだ。
この日本社会のなかで、石岡さんはどうして険しい道を選び、闘いぬいたのか?
それは、その原因を使い方に問題があるとされ、しかも責任をナイロンザイルのせいにする卑怯者呼ばわりされる窮地追い込まれたが、窮鼠猫を噛むではないが信念と自分の誇りにかけて地獄まで行く覚悟で戦い抜いたのかもしれない。

平成元年のある日、マスコミに「第二のナイロンザイル事件発生か」という記事が出た。平成元年、日本山岳会は大阪大学工学部篠田教授を名誉会員に推挙したのだ。内部でも反対意見があったらしいが、山岳会での多大な実績にケチのつけようがなく、評議委員会の全会一致で決め理事会も通ってしまった。
 石岡さんはそれを聞いて、そんな馬鹿なことはないと、そんな人間をなぜ名誉会員として崇める必要があるのか。直ちに名誉会員を取り消せと日本山岳会に訴えたとのことだ。石岡さんは東海支部の創始者だから、東海支部長の名をもって理事会に申し立てたが、本部は「一度決めたものは覆せない」と頑と聞き入れなかった。
結局、篠田教授の名誉会員は取り消されなかった。
ある人がこんなことを言った『日本山岳会百年の歴史はすばらしい。登山界における功績もすばらしい。すごい人を輩出した日本山岳会の百年は輝かしいものである。けれど、唯一汚点がある。それは大阪大学工学部篠田教授を名誉会員にしたことである。これが最大にして唯一の汚点である』
大学教授という「権威」の実態と多くの人々の弱腰、それと裏腹の関係にある権威者の社会的責任感の欠落から、今でも少なくない大学でのパワハラやジェンダーの差別、お金の不正は起きている。名誉と権力を握ったために、それを守ろうとして我を失うために起きているのではないか?

平成26年4月に独立行政法人製品評価技術基盤機構(nite) 製品安全センター長田 敏氏による最新設備による科学的調査が実施された。
『事故品ザイル、現在市販されているナイロンロープ、麻ザイルを動的粘弾性測定(DMA)比較や事故品ザイルの融点分析を示差走査熱量測定(DSC)によって行われた。
以上の測定結果分析から事故品ザイルは、現在市販されているナイロンロープ及び麻ザイルに比べて変形による発熱特性(tanδ値)が大きいことから、摩擦など瞬間的な変形に対して耐久面で不利であると推定される』との分析結果が発表された。

 初めてナイロンザイルが出てきた当時、8mmのシングルであったようだが現在、山岳登攀すなわちアルパインクライミングでは当然ながら9mm以下は、ダブルロープまたはツインロープでしか使えない。
画期的新商品や技術が出現すると、ややもすれば利点や特徴だけに目が行き、裏に潜むかもしれない欠点に想像が及ばない。
どんな新しい便利な道具でも使い方を間違えるとだめということだ。これはそもそも商品のうたい文句に瑕疵があって、隠したことに最大の問題がある。
前穂高岳東壁~Aフェイスにて切れたナイロンザイルそのものが、今でも市立大町山岳博物館に収蔵展示されている。

参考文献
『ナイロンザイル事件』 岩稜会 昭和31年
『登山家 石岡繁雄の一生』石岡繁雄の志を伝える会 2021年
『研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン』文部科学省 平成26年
『「氷壁」ナイロンザイルの科学的調査によって明らかになった59年前の真実』      独立行政法人製品評価技術基盤機構(nite)  平成26年4月 長田 敏
市立大町山岳博物館
松本市立博物館

事故ザイル実物

前穂高岳東壁下部C沢入り口