利尻山 南稜、東稜敗退 1987年

利尻山南稜、東稜敗退記                    

愚か者たちの結末                

1987年9月11~15日
                                    9月12日
鴛泊09:15着、北稜パーティと別れ、鬼脇までバスで行き、タクシーを頼むが断られてしまった。さあどうする、結局HKがバスで鴛泊に戻りタクシーを捕まえて来るまでバス停の周りをウロウロし、昼寝をしているうちに戻ってきた。12:50頃、林道を遡ってもらい助かった。林道終点から歩き始めてまもなく砂防ダムの全貌が我々の眼前に姿を現した。

さて南稜の取り付きはどこだと探すが、雪のまったく無い秋であるが故、よく分からない。ダムから500m程奥へ進み右岸の南稜を見上げるが悪い。
ガレを詰めて右のブッシュに入り、直上と過去の記録の場所と思われるところを見つけて上がって行くが、ボロボロの斜面は見た目より悪く、途中よりザイルを付けバイルでステップを刻みブッシュへ入る。さあやっと進めるかと思ったが甘かった。80m程登っただろうか、なんと6m位の逆層壁が出てきたではないか!
登れそうな所を片っ端からトライするが手強い。しまいにザックを下ろし空身で取り付くがブッシュはあまりに弱く掴むとすぐに抜けてしまう。
岩はすべて浮いており、力を入れると共に墜落しそう。30分の奮闘の後あえなく敗退を決定。ダムまで戻りもう一度ルートの検討をするが、ダムより上のヤムナイ沢にはルートは見出せなかった。我々が登れそうなルートは、ダム寄りの一番楽そうなルンゼしかないとの結論を出し、ダム下にツエルトを張り19:30には寝た。

火山灰の斜面は全てが崩れ、しかも上部がハングしている

9月13日
04:00起床、05:50行動開始。
06:20ハイマツのブッシュに突入。背丈をはるかに越えるブッシュだが、何とかルンゼをたどり08:30リッジにでた。出たのだが、ハイマツの上に出なければ稜線がまったく見えない。小休止して再度1200mピークの方向を見るが、その遠さに中年三人組は愕然とする。さあどうする、ハイマツの海を踏みながら進むと1200mピークまで到達するのに丸一日を越えるに違いない。そこからバットレスを越えて南峰に到達するためには、1~2日は掛かるに違いない。14日に北稜パーティと合流ことになっているので、停滞が起きたらタイムアウトになる。ここで南稜は諦め、下降する。返す返すも昨日のロスが痛い。

気落ちした我々の砂防ダムでのビバーク

その足で東稜なら楽勝だべと転戦するが、気落ちした三人の足取りは重く、進まない。ゆっくりと上がっていくのだが、登山道の荒れ方は尋常ではない。後にすでに東稜の夏道は崩壊して、廃道となっていると聞いた。
鬼脇山には16:00頃やっとたどりいた。

 

    鬼脇山から南峰直下までのリッジは両サイド崩壊して渡れない

HKがピーク方面を指差す。そこにはリッジが大きく崩壊し、ルートがなくなっていた。しかもヤムナイ沢から吹き上がる風がザイルを舞い上げる。
それでも進もうとしたが、ガスが湧き上がってきた時点16:20再び敗退を決定。
偵察が目的のメインテーマとはいえ、女性パーティが過去、秋に南稜を登っているだけに、ピークを眼前にして下る情けなさは言葉に言いあらわすことが出来ない。しばらく吹き上がる強風の中、バットレスを見つめていた。鬼脇19:30着。                                (SM)

夏に利尻山南稜を目指すなんて、ほとんど聞いたことがないが、過去にはなんと女性パーティが9月に登っているのだ。その記録を見た愚か者三人組は、たいした調査無しに、いきなり登りやすそうな斜面から取付いたのだった。利尻山は甘くなかった。積雪のない斜面は火山灰と、ボロボロの岩が積み重なっただけであり、手も足も出ず敗退した。それに懲りず、廃道となっている東稜に取付いたものの、再び敗退。自分たちのアホサさを確認するに終った。一緒に利尻に渡った仲間の女性三人は、北稜を完登し晴れやかな顔で、落ち込む我々の前に現れたのだった。恥ずかしい思い出である。

下にヘルメットが見とおり背丈を超えるハイマツの海で、我々は溺れてしまった