本編において実在のルート名、クラブ名が出てきますが、内容においてはすべてフィクションです。Survival511.com
蒼氷の壁 第一章
第一章
明け方雪洞を出ると風は止み、山は静まり返っていた。
目の前に利尻山北峰が屏風のように立ちはだかり私を拒絶している。疲労困憊の体にはきつい。ザックから登攀具をすべて抜き出し、ありったけのウエアを坂本に着せ雪洞外に出た。
ヘッドランプのバッテリーを使い果たした今、空と雪面の境目は感覚だけが頼りだ。
幸い漆黒の暗闇にもかかわらず空と白い雪面の境目はわずかながら見える。北峰の登りは苦しい。前日の降雪が急斜面の壁をさらに難しくさせていた。
ラッセルというより上空に向って泳ぐと言ったほうが正しい。
進んでいるのか、後ろへずり落ちているのか分からない。
二時間が過ぎたころようやく北峰にたどり着き、屋根が僅かに露出している社に触れることが出来た。
鴛泊の明かりが自分の進むべき方向を示しているのだが、深い雪をラッセルする体力は限界をとっくに越えていた。
それでも坂本をあきらめるわけにはいかない。
二、三歩進んでは座り込み、また進む。意識も飛びそうになり自分が誰なのか、どこにいるのか、何をしているのか分からない瞬間がある。
こうしてはいられない、私が倒れたら坂本の雪洞がどこにあるのか伝えられないではないか。
明日では遅すぎる。なんとしても今日中に街に下りなくてはならない。意識が朦朧とする中、顔を上げると空が白みはじめ、山や島の形がわかってきた。しかし先はあまりに長い。手の指に感覚はすでになく凍傷になっているだろう。
先ほどからほとんど前進出来ていないことに気がついた。
「裕!長谷川!どうした」誰かが呼んでいる。
いつの間にか雪面に顔を伏せており、このまま寝てしまったら気持ちがいいと考える自分がいた。気がつくと空はさらに白みを増していた。
東の空に明るい星が見える。星はなぜか動いているような気がする。動いている理由がわからない。ドキリと心拍数が上がった。バッテリーが切れた携帯電話はもうない。
目を瞑り再び開ける事が怖い。
2003年12月
利尻山は北アルプスなどの地域にある岩壁とは違い、火成岩で構成されているため非常に脆い。そのため純粋にクライミングを楽しむというよりは、落石とホールドの崩壊をいかに避けるのかが、最大のポイントの苦行と言えるかもしれない。
「西壁青い岩壁」が20登以下、「ローソク岩正面壁Bフェイス」という非常に困難な壁に至っては、5登程度とクラッシックルートにしては非常に少ない。
アルパインクライミング人気が低迷する、しないの前にこれらのルートは冒険的要素が有りすぎて、ほとんどのクライマーは実行を躊躇するのだ。さらに、ローソク岩正面壁Bフェイスの右にはCフェイスという未登の壁があることは、あまり知られていない。
Bフェイスに似ているが、危険度がさらに高い。全く手を付けられていない訳ではないが、完登は確認できない。取り付いたパーティがいたが3Pで敗退。
残置は当然のことに皆無だが、ハーケンの効くようなリスも少なく、カムに対応出来るクラックも少ないらしい。
さりとてブッシュは頼りなく、サンドハーケンくらいしか使えなかったとのこと。
薄暗いルンゼからは無言の圧力を感じ、緊張感に耐えきれず敗退を決めたらしい。誰かが一度でも登ることができたならば、次に続くものは精神的に格段に楽になる。
あいつに登れたものが、俺に登れないはずはないと。挑戦する者は極めて少ないだろうが、居ないという否定もできない。初登の名誉はたったの一度きりだ。いくらアルパインクライミングが振るわないとはいえ、仲間内で評判になることは確実なのだ。
そんな邪な気持ちも否定できないが、誰も登りきれていない壁は、私の心をとらえて離さなかった。もちろんクライミングを始めて5年程度の人間がトライできる壁ではないことは百も承知である。
Bフェイスを登った者に話しを聞き、夏に利尻に渡り西大空沢を遡って、登れる可能性を探ってきた。
利尻山西壁ローソク正面Cフェイス
無雪積期のCフェイスルンゼは、岩の壁というよりも土壁に近く、効き目のあるプロテクションは僅かにブッシュ以外には期待できない。
アンカーもボルトを打てなければ、構築はほとんど無理だろう。ランニングビレイはカムにしてもハーケン類にしても落ちると衝撃加重のため吹き飛ぶ可能性が高い。
それを防ぐには静荷重でそっと乗る人工登攀が向いている。フリーで登り、ダイナミックなムーブをこなすつもりで動くと、落ちたらプロテクションは次々とはずれてしまう。
悪夢のような光景が脳裏に浮かび背筋が寒くなった。
しかし、土壁が凍る厳冬期であればどうだろう。可能性があるのではないか? ただし、安定したその引き換えに天候の悪さと持たなければならない装備と食料は相当増えるだろう。
見たことのない岩質に対して、どのようなプロテクションを用意すればよいのかも正直わからない。
キャメロットなどのカム類、ナッツ、トライカム、ハーケン類、ボルト、イボイボなどあらゆる手段を用意してもそのすべてを持つことなど不可能だ。
であるならば、何を選択するかで結果は変わってくるに違いない。自分の能力も試されることでもあるだろう。
山行を実施するためには、どのくらいの日数を必要になるか単純に計算してみた。
1日目 稚内よりフェリー。しおり橋から西大空沢を遡りC0
2日目 C0~第一コル付近まで登りC1
3日目 C1~大斜面トラバース~中央リッジ基部をへつり西壁Cフェイス取り付き付近にC2、時間に余裕があれルートを途中まで登り、フイックスして基部に戻る。
4日目 C2~ユマーリングでルートを登り返し~ダイヤモンドフェイス基部~C3
5日目 C3~ダイヤモンドフェイス~ローソク第一リッジ~頂稜でC4
6日目 C4~本峰~北稜~鴛泊
7日目 予備日
8日目 予備日
9日目 予備日
計画ではすべてが順調に進んだ場合であり、実際にはこのようにはいかないだろう。
まずCフェイス自体が、まる二日以上ついやすと考えねばならない。そのために、予備日が3日必要であろう。普通これほど用意することはないのだが。
予備日をとるのは良いけれど、問題は必然的に増える食料と燃料の重量だ。これは無視できない。
長期にわたるアルパインクライミングの山行では、いつも悩む避けられないジレンマである。
重ければ登りのスピードが遅くなる。したがって完登出来ず敗退。
軽くすればスピードが上がるが、終盤途中で食うものがなくなり腹ペコで敗退。深く考えると成功できないのではないか、といつも悩む問題ではある。当然のことながら妥協点を見つけねばならない。
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