蒼氷の壁 第四章
14:00 取り付きに到着。
雪洞の位置を確認後空身で少しでもロープを伸ばすことに決定し坂本リードでスタートした。
ルートはBフェイス右へ10メートル程度離れているが、明白で迷いようがないくらいダイヤモンドフェイスへ向って一直線に伸びていた。全面ベルグラに覆われており、想像していたとおり険悪な様相は隠しようがない。
カムが使えそうなクラックは見上げる限り見当たらないが、ブッシュは所々にあるので有効に使い、サンドハーケン、平型ハーケン、イボイボなど赤岩では一生使うことのないギアの出番である。これらはすべてを使った事があるわけではなく、また有効性に疑問があるにしてもこれ以外に選択の余地はないのだ。
1P目 25メートル 大斜面から見上げたルンゼに一筋の凍った流れが見えていたが、快適にアックスが使えたのは下部の20メートルほどで、上部は接近すると薄いベルグラに過ぎないことがわかった。3メートルほどピックで引っ掛けて乗り越し、ようやく体をあずけることが出来る箇所が出てきた。ここから再びベルグラは薄くなり、左の壁にナイフブレードを打込み一息。
ブッシュとあわせてアンカーとする。
2P目 30メートル 岩に見えるフェイスにアックスを叩き込むと手ごたえが有り、ここは岩ではなく凍った土壁に過ぎないことがわかる。無積雪時期ならばハーケンも、ボルトも用を成さないに違いない。むろんホールドなぞ土くれを掴んでは崩れる砂糖菓子に過ぎない。
打ち込むサンドハーケン、ワートホッグ、ようやく手に入れた平型ハーケンがどれほど利いているかは全く不明である。
静荷重で乗れても落ちた時、衝撃にどれほど持ちこたえてくれるか考えたくない。ブッシュ、ブッシュとランニングビレイを取りブッシュでアンカーとする。今日は二人とも空身なので、フォローはユマーリングで上がり、時間がきたのでここまでとする。
18:00 下降
50メートルロープ一本で取り付きまで懸垂し、暗くなった壁際の斜面を掘り起こす。
二時間で雪洞が完成。ようやく満足のできる食事にありつけた。
今日までガスで覆われ小雪がちらついても、天候は荒れることなく来られたのは考えるまでもなくラッキーとしか 言いようがない。
天気予報では明日の夕方から西高東低の冬型の気圧配置が強くなるため、何とかダイヤモンドフェイスの下部まで着きたい。
「長谷川、明日の3P目から君が荷を軽くしリードして、俺が重量物を背負いユマーリングすることにしよう」
「了解だ、天候が崩れる前にぜひともダイヤモンドフェイスの基部まで出たいな」
「ルンゼを抜けたら壁に段差があるので雪洞を作れる」
「そういえば残置プロテクションは見ていないな」
「過去の記録では3P目途中で降りているからアンカーは恐らく残っているんじゃないか」
「あればラッキーだし、5年前になるからなくて当然だな」
「壁は灰とブッシュで出来ているからね」
明日のことを考えても仕方がなく、壁を越えるということは時間の経過を意味することではなく、蒼氷の壁を越えなければ明日が我々にないということだ。
今日までなにごともなく順調だが、はじめに考えていたよりはるかに進むので内心「こんなはずはない。俺たちにしては出来すぎだ」と心の奥からの警告がふたたび聞こえてきた。
第五章に続く