槍ヶ岳~大キレット~前穂高岳縦走 2013年

槍ヶ岳~南岳~北穂高岳~奥穂高岳~重太郎新道

2014年7月27日~8月1日
山の中で考えたこと

7月27日
05:55上高地バスターミナル 08:34横尾山荘着 10:20槍沢ロッジ着

新宿西口のバスターミナルから23:00上高地直行バスに乗り、どこを走っているのか分からないうちに夢の中へ、目が覚めると釜トンネルを過ぎるところであった。数十年ぶりの上高地は何も変わらず美しいままである。
梓川沿いに槍沢に向け歩くが、思っていたよりは登山客は少ないのは梅雨明け直後のせいだろうか。梅雨が明けた10日間は晴の特異日になっているらしく晴れが続くらしい。横尾に到着すると涸沢方面に屏風岩東壁が圧倒的迫力で見えてきた。雲稜ルート、東稜などの看板ルートには一度は手を触れてみたかった。
横尾を通過したあたりより雨が降り出し、槍沢ロッジに到着するころには本降りとなってしまった。今日はここまでの予定なので特に困ることはないが、何もすることができず暇をもてあましてしまう。こんな天気でも、ひっきりなしに下ってくる人がいるし、どこまで行くのか登っていく人達がいるのには少し驚いた。

他の単独登山者三人と暇つぶしに山の話をして時間を潰した。
営業山小屋は生まれて初めてなので勝手が分からず戸惑うが、いたせりつくせりでらくちん極まりない。遠方より来た高齢者の私にとってテント、食料、寝袋等のフル装備は修行僧並の厳しさになるに違いない。
年金受給者は力を出せないので、金を出せということだろう。
お金さえあれば水と防寒着、雨具、緊急用具、携帯電話、おやつ、サングラスあれば他に何もいらない北アルプスは天国にすら思える。
本州の人がうらやましい。原始の山だらけの北海道は山中でテントを張るには少し勇気がいる。ヒグマがうろつく中で単独のテントほど心細い物はない。

7月28日
05:46槍沢ロッジ発 10:06槍ヶ岳山荘着 10:30槍ヶ岳頂上着

       険しいが鎖、梯子が張めぐされ安心

天気は無風快晴となり、最高の登山日和だ。テン場を通り過ぎると雪渓が現れ涼しくなったので、気持ちホッとする。
水俣乗越分岐が現れそちらへ向えば松浪明が壮絶な遭難をした北鎌尾根に向うことになる。今回は初めての北アルプスなので槍ヶ岳に歩みを進める。
天狗原分岐あたりは、グリーンバンドと言われる潅木の地帯となり、傾斜が一時的に落ちる。
沢水が鮮烈に流れており、思わず手で救い何杯も飲んでしまった。
北海道ではエキノコックスの心配がありとても生水は飲めないので新鮮な思いがする。そこから一時間まっすぐ登っていくとようやく槍の穂先が姿を現した。
想像していたより穂先が尖っており、そして大きい。
もうすぐ到着できると思わせ、実はここからが本当に苦しい登りとなるのは覚悟していたのだが、3,000mの高度はやはり空気が薄くなり呼吸は確実に苦しくなる。休み休み少しづつ高度を稼ぎ、やっと槍ヶ岳山荘へ到着。5分ほど休憩したが今日の目的はやはり3,180mの槍ヶ岳山頂であり、すぐに向かう。
遠目には急傾斜に見えるが、近づくとちゃんとルートがあり、難しくはない。
鎖、梯子が要所にきちんと設置されているためよほどのことがなければ落ちることはないだろう。しかも梯子が並列に設置されているため登り、下りと渋滞を避けるようになっているのは超人気の槍ヶ岳だけのことはある。

         西鎌尾根が双六岳まで延びている

最後の梯子を上りきると、思っていた以上に広いスペースがあり、二三人しか居ないので気分が良い。雲が少し掛かっているが視界は悪くなく、常念岳、北鎌尾根、東鎌尾根、笠ガ岳などが見える。梅雨が明けた直後のウイークデイのため想像以上の人の少なさはこの後前穂高岳まで続いたのは本当にラッキー以外の何ものでもない。
槍ヶ岳山荘まで戻り槍沢ロッジに作ってもらったおこわ弁当を食べた。
3000mの高所で食べる弁当は1,000円と非常に高額であったが、分量もおいしさも納得のいくものであった。やはり北アルプスは軽量ザックと財布だけ持てば何の心配もないとの噂話の通りである。うらやましい。
槍ヶ岳山荘で宿泊の受付を済ませ、玄関にある衛星公衆電話にて家に電話する。
小屋の定員は800人と想像以上に大きく、食堂は満員時には三回、四回と入れ替え制になるらしい。私は幸いなことに到着が午前中であったため夕食は最初の回に食べることが出来た。午後には何もすることがないので付近を散策する。

     手製の標識が何個も置いてあるのは、いかがなものか

7月29日
05:39槍ヶ岳山荘発 08:00南岳着 08:12獅子鼻岩発 09:35長谷川ピーク着 11:25北穂高岳小屋着

今朝も一番先に朝食を食べることが出来たので5:39に小屋を出ることが出来た。午後になると天候が悪くなり雷雨の可能性がある北アルプスでは早出、早到着が鉄則だ。今日は昨日以上に天気がよく、北穂高岳どころか遠く富士山さえ見えるではないか。南岳までの行程は起伏も少なく非常に歩きやすい。
朝早いというのに日差しは強く、日除けクリームを塗っていても効果がないと思われるくらい暑く感じる。これは想像していなかったのでキャップではなくつばの広い帽子が必携であると思った。
3000mの稜線であるにかかわらず風がない、気温もおそらく14℃を超えているに違いない。これは良いことなのだろうか?それとも良くないことなのか?
中岳まで来ると歩く人もまばらになり、槍ヶ岳も少し遠く、写真写りが良い。
大雪山の広大な高原を歩く感じとはまた違った高揚感があるのは日本ではここ位ではないだろうか。3,000mの稜線が10km近く続くのだから山屋には天国だ。

7:14今回の山行の核心大キレットは獅子鼻岩の右手からザレ場を降りていくのだが、これが滑りそうで気持ちが悪い。
降り始めは鎖も設置していないし、砂礫のため足が踏ん張れないので気を使う。
鎖場、梯子、梯子と最低コルへ向けて降下していくと前方に先行する三人パーティが二組、単独者が四人ほどが現れた。
感心したのは、約半分の人達がヘルメットを被っていることである。
もちろん自分も装着しているのだが、これは意外である、後で聞いた話しでは、遭難対策協議会、各県警が平成25年度より滑落、転落、転倒事故の多い山域を「山岳ヘルメット着用奨励山域」に指定し、登山時のヘルメット着用を呼びかけているのだ。
ちょっと大げさに見えても、ヘルメットは落石だけではなく、滑落、転倒の場合でも無帽よりはダメージを抑えてくれる。

       大キレットへの梯子の下りは緊張する

しかし、少なくない人々の足運びは心もとないことに気がつく。
慎重なのは当然ながら、それ以上に明らかに高度感に緊張しているので、鎖に頼りきり動作がぎこちない。
岩場の経験は少ないと思われ、一般ルートとなっているため簡単に行けると考えているのかもしれない。 今日は天気が良いため、慎重に進むことで何事も起きないかもしれないが、ガスが出たり、雨になるとスラブは超滑るようになるし、心理的に不安が増し判断を誤る可能性がある。実際に経験者であっても、昨年ここ飛騨泣きで、転落死亡事故が続けて発生しているとのこと。

              A沢のコルへの下り

          鎖があってもスラブでは注意が必要


長谷川ピークを越え、A沢のコルで数パーティを追い越すが、逆に超高速の高野山の修業僧(僧服姿に地下足袋)に、あっという間に追い越され心底驚く。
すごい人が世の中には居るものだ、なんだか少し落ち込む。
しかし、後半の飛騨泣きも油断の出来ない場面が続き、先行パーティの落とす落石が降って来る。
ルンゼが多く、当然のことながら落石は集中し、しかも隠れる場所がないので上方を見上げて避けるが小さな一発が腕に当たってしまった。
おそらく足元の浮石に気を使う余裕がなく、落石を起こしたことにも気がついていないし、ただひたすら登ることに集中しているのだろう。

また、単独行者の4割近くは65才以上と思われる老人であり、思わず引き返したほうが良いんじゃないですかと言いたくなるほど遅く、足元が怪しい人が多い(実は私自身も人からそうに見えるに違いないが………)
きっと昔からやっている超ベテランであるのは確かなのだろうが、高齢になると当然のことながら足から弱るのは自明である。
北アルプスでの事故、遭難の6割近くが60才以上の高齢者、そして単独行者、その上10年以上の経験者であるという地元遭対協調査の明白な事実がある。
遭難者は登山を始めたばかりの初心者とベテラン(?)で占められているという情報が小屋に出ているのを誰も見ていないのか。
翻って自分はどうなのよという声が聞こえてきそうだが、それは正しく自分自身の明日の姿でもあり、現実は厳しく見つめなければならない。
人はそうでも、自分だけは大丈夫という正常バイアスが、山においても、よほど気をつけていなければ働いてしまうのだ。

     この岩峰のへつりが核心部かもしれない

  超高速修行僧には死ぬほど驚いた 言い換えるとトレイルランナー僧だ

ともあれ北穂高岳小屋に到着ホッとすると、もらってきた弁当を食べ、頂上に向かうと、先ほど追い越していった修業僧に出会い、まもなく涸沢岳に向かって出発していった。
今日はどこまで行くのだろう?確かに若者とはいえ、自分はここでとりあえず本日終了したのが恥ずかしく感じるほどのパワーにあきれて見送るだけであった。
まあ、向こうは修業の身、こちらは老後の楽しみだから当然といえば当然か。
わき目も振らず進むのは若人、それに対し老人は急がば回れだ。
北穂高岳小屋は収容人員70人と小さな規模であるが、宿泊客は多くはなく、テラスから見る景色はダイナミックで素晴らしい。北アルプス一標高の高い所にある山小屋。富士山をのぞけば、日本でいちばん高い所にある山小屋でもある。しかもそれが、切り立った穂高連峰の山頂にあるのだから、こんな場所にどうやって小屋を建てたのか不思議に思うほどだ。

  槍ヶ岳、前穂高岳、常念岳、屏風岩、蝶が岳などパノラマビューだ

穂高の難所・大キレットや、岩登りで知られる滝谷に近く、クライマーやガイドが集まる一方、古くから食事どきにクラシック音楽を流すような、しゃれた雰囲気をもっている山小屋でもある
食堂の雰囲気最高、 使い込まれて黒光りする壁やテーブルが雰囲気満点の食堂。もう50年ほど変わっていないという。山の頂上でこんな贅沢が出来るなんて素晴らしいではないか。雲海に沈む夕日、槍の穂先、滝谷の深い闇、雲を吐き出す前穂高岳と飽きることがない。
隣に京都市から来た68才のベテランSさんという人と話をしたが、穂高連峰は10回近く通っているらしい。昔のさまざまな出来事を話してくれた。

           笠ヶ岳方面に沈む夕日

         雲海から突き出した槍ヶ岳の穂先


7月30日
05:35北穂高岳小屋発 08:05奥穂高岳山荘着 08:50奥穂高岳山荘発 09:20奥穂高岳着
10:45紀美子平着 12:54岳沢小屋着 

Sさんに奥穂高岳山荘まで一緒に行こうと言われ(即席パーティ遭難の悪いパターン!だ)朝食後直ちに涸沢岳に向け出発する。ラッキーなことに今日も無風快晴。
北穂高岳頂上から涸沢側に降りていくと雪渓が出てきたが、切り出してあるので難なく通過し、南稜分岐を過ぎると飛騨側に入り鎖場を下降する。
30分ほど過ぎた時点でSさんの歩みが急に遅くなり、待つ場面が多くなった。
少しするとSさんが足が痛いので先に進んでくれといわれ、自分のペースで先行する。ある程度進んだ時点で声かけをすると、なんと「めまいがする」と言われたのには、思わず こちらが目眩しそうになった。これはまずい!
大キレットに勝るとも劣らない涸沢岳への登りも気にならない感じで急にスピードアップし涸沢岳を通過、奥穂高岳山荘着後、長野県警と長野遭対協の人を見つけSさんの状況を話し、様子を見てもらうことになる。一時間近く待ったがSさんはやってこない。
今日は岳沢小屋に泊まる予定だが、重太郎新道の下りが際どいのでそれほどのんびりも出来ない。どうしようかと思っていたところ先ほどの長野県警の人に、こちらは任せてください、自分の予定をこなして下さいと言われ、有難く奥穂高岳頂上を目指した。
ここでSさんに気を取られ、重大なミスをしたことに気がつかなかったが、予定の最終場面でようやく気がつき前穂高岳頂上往復をカットすることになる。

           長野県遭対協のみなさん

前穂高岳までの吊尾根のトラバースは一箇所間違えそうになったがすぐに気がつきルートに戻り、そのほかは特に困難なところもなく通過し紀美子平に到着、水を飲もうとして自分の失敗に気がついた。あつ!水がこれしかない!
それは北穂高岳で1L持ち、奥穂高岳で補給する計算をしていたのが、めまい騒動ですっかり忘れてしまったのだ。軽量化も程々にしないと何かのときしっぺ返しを食らうという見本みたいなミスであった。北穂高岳小屋で2L最初から持てばよい話である。
紀美子平についた時点で、残り0.4L、無風快晴の天候は今日も続いているし、下山するに従い気温はさらに高くなる。
前穂高岳頂上まで往復一時間弱かかるとして0.4Lは全て飲みつくすに違いない。となると、紀美子平から岳沢小屋までの2時間は水なしで過ごさねばならない。
これでは熱中症確定見たいなもんだ。
「無謀高齢単独登山者、山小屋100m手前で熱中症のため遭難、ヘリで救出される」という情けない新聞記事が頭に浮かんできた。
全くドジで間抜けな話だが事実であり、自分の弱点である。

     奥穂高岳頂上すぎて水の保給を忘れていたことに気がついた

          前補への釣り尾根は油断できない

残念ながら前穂高岳頂上は即あきらめ下山にかかる。
とはいえ、なめてかかるとこのルートは、傾斜が思った以上に強いので、下山時の滑落事故が異常に多発しているので油断は出来ない。
梯子、鎖がある地点はよいのだが、何もない場所がザレているので、少しでも足を滑らすとアウトである。登りで4時間、下りで2時間決して短くは無い。
ここを最終下山ルートに使うと(つまり自分のことでもある)疲れと足がヨレている上に、山行がもうすぐ終わるという心理が重なるのだ。あせる必要はない。小学生連の親子と前後しながら淡々と下る。
あと少しの我慢と呟きながら、もう我慢の限界だと考えた瞬間、前方にテント場が現れ、水場に到着し水を浴びるほど飲む、うまい。
北海道とは違い、エキノコックス病の心配がないのは素晴らしい。
5分ほどで宿泊予定の岳沢小屋に到着、ほとんどの行程はこれで終了となる。
思い返すと今回の核心は大キレットや涸沢岳周辺ではなく、重太郎新道の下りである。

       岳沢小屋はプレハブの小規模だが快適

小屋で宿泊の手続きをし、部屋でのんびり地図を見ていた15:00頃、小屋のテラスから誰かの電話する声が聞こえてきた。
立ち上がり、テラスを見ると奥穂高岳山荘で話しをした長野県警と長野遭対協の人がいるではないか。すぐにテラスへ行き話をする。
どうやらSさんは4時間かけてと奥穂高岳小屋へたどり着き、その後、14:00安全地帯である涸沢まで無事に到着したとのことであった。

気が楽になったので、楽しい夕食を済ませ再びテラスに出ると先ほどの長野県警と長野遭対協の人たちが双眼鏡で重太郎新道を見上げている。
そのまま側で何があったのか様子を伺うと、07:00頃奥穂高岳小屋を出て前穂高岳までの吊尾根をたどり、重太郎新道を下山する予定の三人パーティが今だ下りてこないとの話だ。
標準タイムであれば4時間から5時間あれば姿を現すのだが、現在時間は17:30とすでに10時間を越えている。
下山してきた他の登山客に聞くと、行動はしているらしいが、きわめて遅いとのこと。ガスがかかり始め時間は18:30ともなると薄暗くなってくるが現れない。ふと長野遭対協が「ヘッドランプは持っていないかもしれない」とつぶやいた。そうなるともうすぐ行動不能になってしまうのは火を見るより明らかなのだが、「ビバーク装備もたぶん持っていない」再びつぶやく。

                重太郎新道下部

真っ暗になる寸前、白い点が現れた、続いて二人も姿を現し、無事に下山しているのが確認できた。しかし、動きがきわめて遅い。
ついに長野県警と長野遭対協がヘッドランプを持ち、迎えに重太郎新道を上がっていった。19:40頃ようやく三人パーティは小屋にたどり着くが、疲労困憊していた。
案の定、男三人の高齢老人パーティであった。

いかに人気で登山者が多いとしても危険な山に、気軽に登っている人達が多いのにあらためて驚く。雑誌に一般ルートと紹介され、自分でも可能と勘違いするのだろうが、山は甘くはない。
どんな山でも、山である限り安全なルートなどあるわけがない。
山の遭難はひとごとではなく、常にそこにある危機、明日はわが身と自戒せねばならない。
私自身偉そうなことを言える身では無くとも、山で重大事故は起こってほしくないと思う。明日も入れてたったの5日間の縦走であるが、天候に恵まれ岩稜歩きを満喫できたことはたとえ、アルパインクライミングではなくても、山登りをしていて良かったと思う。
7/31

             岳沢の清流は黄泉の国


05:30岳沢小屋 07:05河童橋 15:00上高地高速バス 19:42新宿


北海道の山しか知らないのは、山屋としてどんなものかと常日頃考えていたのだが、仕事が忙しく長期の日程が取れなかった。
定年退職し、継続雇用となったが61才のとき突然「こんなことをしていたら山には行けなくなってしまう!」と思った。 
 妻とは合意の上、これからは山に行きまくるんだと宣言をしてしまった。
 つまり、当面しょぼい厚生年金比例報酬部分だけの支給と妻の稼ぎで生活していくことになったのだ。365日間の休日。つまり失業者だ。
 たまにアルバイトをするとは言え、山には行き放題になったわけだ。
 晴耕雨読なんて自分にやって來るとは、考えたことがなかっただけに調子に乗ってしまった面は確かにあったかもしれない。以来14年間ケガをした以外は山を離れない。