登攀装備 2

 ハーケン

 

現在でもナイフブレード、アングルハーケンは、アルパインクライミングで普通に使用されているので、昔のものとはとはいえないが、多彩な形状は見かけないかも知れない。リングつきのアングル、木の葉、ウエーブなどはコレクターズアイテムか?カムシステムが発達した現在、めったに使われなくなったのは、打ちまくった自分として少し寂しい。赤岩に残置されているハーケン類は時間がたち、腐っているものが多く、触っただけで崩れるものもあり、信用できない。使用せざるを得ない時は、気休めであることを忘れずに絶対に落ちてはならないだろう。  とはいえ、残置とカムで済むルートにやたらと打ち足したり、既設のルートの間に無理やりハーケンだけで新ルートを作りまくるのは如何なものか、とも思う。


 ボリエール フィーレ 1986年

 

その昔、クライミング用のシューズと言えば重く、足首の曲がらないビブラムソールの重い皮製登山靴と決まっていた。当然のことに5級以上のルートになると、フリーでは歯が立たずあぶみを使用、ハーケンとボルトの連打の人工登攀が当たり前。これ以上、登攀の世界は停滞し、進化は止まったと思われたそんなとき、EBシューズが出現、世界は大きく変化しフラットソールの時代がやって来た。そしてついにフィーレがクラック、スラブ、フエース等万能のフリー用シューズとして出現し、大勢の人々に長らく愛されることになった。自分も履いた時は、なんだか少しうまくなったように感じたのは偶然ではないだろう。その後、NINJA、レーザー、5.10等続々尖ったシューズが続々と出現したのだが、フィーレは、ただのフリー用シューズではなく、歩けるアルパインクライミングシューズであった為、時代が変わってもしばらく使われ続けた。

 

 ナショナルBF190 ヘッドランプ 1986年

 

今でこそ単四二本で、明るくあきれる位長時間使用できるLEDヘッドランプが、当たり前のように出回っているが、その昔は、豆球、単三四本で重く、10時間程度しかバッテリーが持たないし、その上氷点下では短時間なのが常識だった。そのため、重いスペアを何組も持つ苦行があった。そんなある時、軽いリチウムバッテリーが発明され、長時間使用、氷点下でもOKという時代がやって来た。このナショナルBF190は当時のクライマーご用達で、一番愛されたのではないだろうか。ただヘッドランプ自体は重く300g、バッテリーが一個1200円2個と懐にはやさしくなかった。下にある今のLEDヘッドランプは70gと軽く、電池はいつ交換したのか忘れるくらいだ。そのうえUSB充電できるものさえ現れ進化は止まらない。長時間(30時間?)使用できるのは、ハイテクの時代なのだと今更ながらに感じる。

 

 

 リジットアイゼン フットファング 1986年

 

一時爆発的に売れたアイスクライミング用リジットアイゼン フットファング。リジットゆえに歩くことは全く考慮されていないので、取り付きまでは別のアイゼンが必要になり、不便を感じることも多かった。ただ、いかにも戦闘的なデザインは格好が良く、バーチカルアイスが自分でも 登れそうな気がした。CAMPの格安価格ゆえ使用したのだが、いくら道具が高性能でも技能がだめではたいした使わず、家の中でオブジエと化して今日に至る。

 

 カジッタクスバイル 1986年

高価な輸入アックスしかなかった30年前、突然救世主のごとく現れたリーズナブルなカジッタクスバイル。これを持っていないクライマーは、もぐり だとまで言われた名器。セミチューブとの組み合わせは、アイスクライミングにおいて最強だった。冬壁、沢の草付きでもOK。現役ではあるが、我が家の前で春の氷割りでも最強、ツルハシを横においていまだに活躍している。 カミホロカメトック化物岩での登攀

 

 ゼロポイントBOXテント 1986年

 

1972年エベレスト南西壁遠征で英国の登山家ドン・ウィランスが設計した極地登山専用のボックステントが使用された。南西壁上部にテントを張るテラスなど皆無だから、フレームでベースを作り、キューブ型に直立したフレームを組んだ特製のテントだった。ドーム型より、上部からの多少の雪崩に耐えることが出来るように設計されていた。そのうえ、特に高所登山での強風に耐え、壁が直立しているために居住性が極めて高い特徴を持っていたが、同時に重量が重いという欠点もあった。そのようなヒマラヤエクスペディションで、エベレスト南西壁専用という特殊なものであることに目がいかず、長所が私の仲間の間で話題となった。 すぐにクラブでモンベルが発売したばかりのゼロポイントボックステント三人用を買ったのだが、組み立てて驚いたのがその重量(5kg以上)、フレームの数と組み立て方の面倒さだった。どう見ても機動的ではないことに初めて気がついたのだ。アルパインクライミングに、こんな重いテントは当然持っていけない。しかし、買ってしまったものは使わないと金を捨ててしまったも同然だ。正月に道南の雄鉾岳へ登攀することになり、ベースとして持参したが、国道脇の駐車場で張るだけに終わった。改めて面倒さを確認したのだ。ルートには今まで通りツエルトを持参し、降雪で何度も潰されながら夜を明かしたのだった。ボックステントを使ったのは、この時だけで、その後誰も使うことがなかった。売価は記憶していないが、当時の同等のドーム型テントエスパースの倍はしたはずだから、10万円は楽に越えていたか。今では存在すら誰も知らない幻のテントは、その後誰も使用せず、どこに行ったのかも不明になった。苦い思い出である。

 

ドン・ウィランスが設計した極地登山専用のボックステント(山と渓谷社 ダグスコット ヒマラヤン・クライマーより)

 

コフラック プラブーツ 1990年

 

その昔、年末に利尻山東稜に行ったとき急行『利尻』車中で足元を見で驚いた。プラスチックブーツがひどい割れかたをしているのだ。金属疲労ならぬプラスチック疲労である。 靴は内足が靴底にそって15cm弱ほど割れており更にそこから上に向かって亀裂が走っていた。先週の赤岩で登ったときには全く異常を感じてはいなかったし、買ってから3年でこんなことがあるなんて今まで聞いたことがない。                 

利尻山東綾

「これじゃ一利尻には行けない。足が凍傷になっちまう」 しかし汽車はもう旭川もすぎている。せっかく来たからには今から引き返す訳には行かないだろう。とりあえず利尻に渡ることにした。翌日鴛泊に着いてからタクシーで雑貨屋へ寄り、アロンアルファーと針金とガムテープを買い、これで土踏まずとアッパーのあいだをなんとかぐるぐる巻きに補強し、行ける所まで行ってみようという事になる。見てくれは悪いがジルブレッタもアイゼンも装着できることは出来る。バラバラになったら外側のプラブーツを捨て、インナーブーツで下ればいい事だ。結果として下山するまで靴は崩壊することなく持ってくれた。買ったお店で靴を見せたところ、これは異常だとコフラックのこの靴に交換してくれた。プラブーツやソールの加水分解問題が世に知られていない時代であった。今ではそんな恐ろしいことなどせずに、おとなしく稚内駅から札幌へ引き返すだろう。

 

モンベル ドロワットパーカ 1987年 

 

パンツ 1984年頃だろうか、ゴアテックスの優秀な機能が世に知れ渡り、我々でも入手できる価格帯になったのがこのハードシェル・ドロワットパーカだ。耐久性としなやかさに優れるシェル素材に、シンサレートを全面にサンドイッチ。  メンブレンのゴアテックス3レイヤーが衣服内の蒸れを外へ逃がし、冬山の厳しい環境に対応する多彩な機能を備ていたが、価格は海外のメーカーより格段に安かった。冬の利尻山を目指す者はほとんどといって良いほど使用していた。素材の性能が格段に進化した現在、アウターシエルは中綿をサンドイッチすることがなくなり、体温や湿気はインナーでするようになった。当然衣類の重量は軽く済むのだが、やりすぎは低体温を招くことを忘れてはならない。

 

 ヘキセントリック 1989年

私がクライミングを始めたころは、ヘキセントリック本体を買い、自分で6mmのロープを通して、ダブルフィッシャーマンズノットで結び使用した。ナッツと同じようにクラックに押し込み、回転させ位置を決めるだけ。クライマーが上昇するにつれナッツであれば動いて外れてしまう可能性がある。そのためにナッツ二個をオポジションで組み合わせるというテクニカルな工夫が必要だ。それは結構難しく、マイクロカムが開発された現在ナッツがあまり使用されなくなった原因だろう。へキセントリックはその点、大きさと質量があるので簡単には動かない。セットに頭を使うギアを使う喜びが得られるので見直されても良いのではないだろうか。

 

 METOLIUS メトリウス 25mm 5ステップ エイダー 2002年

 

アブミにはアルミのステップがついたものと、このナイロンテープで作られたものと二通りある。冬期にアイゼンを装着した場合、テープは使えないのでアルミステップを使う。ビッグウオールやクライミングシュウズの場合、私はテープアブミが使いやすい。 

 

赤岩窓岩リッジ登攀