利尻山 東稜 1989年


利尻山 東稜

プラスチックスの加水分解にご注意

1989年12月30日夜~1990年1月3日

12月30日
年末のあわただしさの中、ぎりぎりの時間帯で急行列車利尻に乗り込む。下層労働者はいつもこんな調子だなあなどと寝ぼけた頭の中で考えていると、となりに居たSMさんが急に大騒ぎしだした。 どうしたのかと思って見てみると、SMさんの履いているプラスチックスブーツがひどい割れかたをしているのだ。金属疲労ならぬプラスチック疲労である。
 靴は内足が靴底にそって15cm弱ほど割れており更にそこから上に向かって亀裂が走っていた。SMさんの話では、先週の赤岩で登ったときには全く異常を感じてはいなかったらしい。まだ買ってから3年でこんなことがあるなんて今まで聞いたことがない。
SMさんは真っ青になっている。「これじゃ一利尻には行けない。足が凍傷になっちまう」 しかし汽車はもう旭川もすぎている。稚内に着いてから対策を練ることにする。まあどうにかなるべと話し合い、取りあえず再び寝ることにした。もっともせっかく来たからには今から引き返す訳には行かないだろう。

      利尻山東稜は複雑に折れた危険な雪庇が続く


12月31日
7:20稚内発 10:30鬼脇 15:40  600m付近C1
翌日鴛泊に着いてからタクシーで雑貨屋へ寄り、アロンアルファーと針金とガムテープを買い、これで土踏まずとアッパーのあいだをなんとかぐるぐる巻きに補強し、行ける所まで行ってみよううという事になる。見てくれは悪いがジルブレッタもアイゼンも装着できることは出来る。バラバラになったら外側のプラブーツを捨て、インナーブーツで下ればいい事だ。
そのままタクシーでアフトロマナイ沢の林道に入った。束北稜パーティーと東壁パーティーのレースがうっすらと残っている林道を2時間ほどラッセルし、尾根に取り付く。
標高600m付近に東壁パーティーの使ったテントサイトがあり、ブロックが積んである。そこをそのまま使うことにした。天気は吹雪で視界も悪いが利尻山ではこれが普通の状態である。

       東稜上部より本峰 点発生雪崩が発生している


1月1日
7:00 C TL 発 13:00鬼脇山手前C2
標高1000mでスキーをデポし、鬼脇山手前の雪洞に入る。私達は先発で入っている仙法志バーティ、東壁パーティーのサポート的役割をもっている。特に東壁パーティーの登路を遅れて辿ることになるので、雪洞やテントサイトはいつも東壁パーティーのものを使用する事になる。外は若干吹雪ぎみだが雪洞の中はまるでウソみたいに静かだSMさんの靴はどうやら大丈夫のようだ。気温がマイナスの冬だからプラの外郭から水が染みることはなく形だけが保っていれば良いのはラッキーだ。ゴールデン・ウイークであるとビシャビシャに染みるのは防げないに違いない。インナーブーツだけではどうなるだろう。あらためてガムテープの威力に感心してしまう。夜各パーティーとの定時交信の際、突然、稚内のアマチュア無線の免許をとったばかりの女性から入感してくる。「ヘエー、山ですか仕事で入って居るんですか?」「いえ趣味です。」 その交信を聞いた仙法志パーティーから、今の女性の声は何だい?利尻に知り合いの女がいるのか?と、ひやかしのコールがかかり皆で笑ってしまう一幕だった。

1月2日
7:00 C2発 13:00南峰 15:00鬼脇ベース着C3
今日は、南峰の雪洞へ先発隊の荷上げ品食料、燃料、タバコなどをデポに行く日だ。また東壁パーティーが南峰の基部から中央リッジの取り付きへ下降する日でもある。行動食とデポ品だけを持って出発する。雪が深く時間が掛かりそうなので、本峰へのアタックはあきらめてザイルは置いて行くことにした。鬼脇山から大きく張り出した雪庇を注意深く右に巻いてかわし、ナイフリッジを辿り、途中現れた岩峰は右に巻く。稜を下って進もうとすると、腰ラッセル、時には胸ラッセルとなる。時間の遅れが気になりだす。空身で来たから、南峰の雪洞でビバークするわけにもいかない。こんなラッセルでデポ品を上げれるかどうか不安になる。

         南峰基部より鬼脇山を見る

南峰へ向かったこの日は、素晴らしい天気だった。振り返ると鬼脇山は雲の上にあり、ヤムナイ沢側の切れ落ちた岩壁帯が、まるで日本の山じゃないみたいにアルペン的な雰囲気をかもし出している。
南峰とのコルヘ下る手前で、東壁パーティーが下降しているのが見えた。むこうでもわかっているらしくて、コールを交わす。これで南峰直下のあの急な斜面のラッセルはしなくて済みそうだ。デポ品もなんとか上げられる。
南峰の雪洞にデポ品を置くと、写真を撮り合い、すぐに下降を開始した。本峰1Pの雪壁登攀に未練はない。飛ぶように下降し鬼脇山雪洞には2時問程で戻ることができた。雪洞へ戻った時は藤脇さんの言葉ではないが、これで生きて返れると実感してしまった。下降でいやらしかったのは、やはり南峰直下の急斜面である。いつ雪崩れても不思議はない傾斜と積雪であるけど、東壁パーティーが下降した直後なので安定していたのはラッキー以外の何ものでもない。

        南峰基部雪洞入口より本峰を見る

1月3日
6:30 C 3発 10:00林道入目

既に林道入目で東北稜パーティーが私達を待っているので朝6時半頃雪洞を出発。スキーデポからはブッシュもない広い尾根なので、下手でもスキーを楽しむ事が出来た。林道人口には10時着。東北稜パーティーと一緒に帰路に着いた。
今回の山行はガムテープと針金、それにアロンアルフアに感謝しなければならないだろう。
それと、食ってばかりいた僕は山から降りると、2.5kgも太ってしまっていた。「これで年末調整もパーだ」と嘆いていたSMさんは、靴をS登山店へ持っていくと、これは異常な割れ方だ、と言うことで運良く新品のコフラックと交換してもらえた。めでたしめでたしでした。
                            (KS)

     南峰直下の深雪ラッセルは苦しい


プラスチックス疲労およびソールの加水分解は、一般的に周知されてきたが、1990年当時はほとんど知られていなかった。とはいえ入山以前の時点で靴の破損が判明したのだから、本当は山行を中止すべきだったのは言うまでもない。
 今年2024年7月、北アルプスの三俣山荘でソールが剥がれ、テープで仮止めした登山者にあった。今でも油断していると靴の破損があることを知った。
 まだ使える、何とか使えるは身の破滅を招きかねないと改めて思った。