カミホロカメットク 八つ手岩右ルート 1992年

上ホロカメットック  八つ手岩ノーマル右ルート

モチベーションが切れたのか

1992年11月22~23日
                

我々のパーティを除くパーティは初期の目的をこなし、時間内に終了したが、我がパーティは下降ルートの選択に失敗し、大幅な時間的遅れを生じてしまった。因果応酬と昔からいわれるが、今回の山行の全てが、この言葉に要約されているいったい過去の教訓から何を学んできたのか、あまりに山をなめてはいないかと糾弾されても弁解の余地はまったくない。トレーニング不足、パーティ編成、ルート・下降の研究、山に対するモチベーションの欠如等、いずれをとっても問題だらけであった。なんとか事故を回避して下山できたとはいえ、他パーティに心配と多大のご迷惑を掛けてしまった。

11月22日
 
6:00 札幌をKF車にて出発
8:40 十勝岳温泉着。
9:00  同上  発
10:00  旧噴火口者。
10:30 正面壁取り付尾根左の斜面にて雪上訓練開始

 

八つ手岩取り付き付近


ストッピング、スタンディング・アックスビレーについてはそれほど問題はな
かったが、コンティニアンスビレーに全く確実性がない。
アックスが完全に剌さる適度な堅さの雪質であれば滑落者を止めることも可能
だが、柔らかくても堅くても確保者はひきずりこまれてしまう。
スピードアップが必要ならばコンテより各自がフリーでいく方が犠牲が少ない
14:30 JOパーティは正面壁バンドへ向かい、我々は八つ手岩尾根の最下部にてツェルトを張ることにした。ブロックを積んでいるとKTパーティが八つ手のルンゼを下降して来た。彼等はそのまま正面壁バンドヘドつていった。
16:00 ツエルトを張り終えてから我々はビーコンのテストに入る。
一個を埋めて二人で探す、一人で探す、二個を一人で探す各方法を実施したが
いずれも短時間に発見できた。17:00 ビ-コン訓練終了。

11月23日
 
05:20 起床、予定より遅い。
07:00 出発準備終了するが、YSの貴重品(現金、免許証、家の鍵、車のキー)袋がキツネにやられてしまい、一時間程一帯を捜索するも発見できず。
08:00
八つ手岩尾根に取り付くが雪がほとんど無いために慎重になる。
八手直下の岩塔は左を行く、雪が深いため一人づつ通過。
基部に到着しノーマル右の取り付きをKSに確認する(2回経験してる)と、
覚えていないとのことでしばらく辺りを探すと、ボルトが2本見つかった。
正月の利尻山定例へ行くKS田がリードすることにした。

八つ手岩ノーマル右ルート

1P目、角の左より2m直上、バンドを右へ渡り、凹角へ入る。
バングを右上しダブルアックスにてルンゼを直上、40m。

2P目、ダブルアックスにて右上してゆき20mでピッチを切る。
KSが3P目をリードしている間に交信する。
KTパーティはすでに下山しており、JOパーティは正面壁チムニーの

3P目、との連絡が入った。八つ手の下降はコルよりルンゼに降りたほうがD尾根
経由よりはるかに早い、我々も使ったとKTパーティより交信有り。
ただ22日から23日にかけてけっこうな降雪があり少々不安なので下降した
のが22なのかそれとも23なのか確認しょうとKTパーティを呼ぶも、同じチ
ャンネルを使っているトラックとかぶってしまい、交信ができなくなった。
何度か呼ぶも応答が取れなく、交信を討ち切る。

13:00 登撃終了。
下降ルンゼへの下降点と思われる場所に着くが視界が悪く、降りていく方向が判然としない。こから真っ直ぐ降りると45mでは届きそうもないので最低コルヘ40m降りていく。
まずKSが後ろ向きのダブルアックスで降りていく。
途中で様子を聞くが、なんとかなりそうとの返事があった。
100m程下までKSが降り、次にSMが降り始め、25m下まで
来た時、幅3~4m、長さ10~15m、厚さ50cmの規模でズン!というに
ぶい音と共に1m上より崩れた。
あっやられると思ったが幸い右のアックスと右のアイゼンがきいていたので
なんとかもちこたえることができた。
あれだけ傾斜のきつい斜面で流されなかったのは、全くの偶然に過ぎない。
このままではYSが降りられないし、危険すぎる。下にいるKSにルンゼの様子をきくが、何箇所も切れていることの返事有り、登り返すこ。とにした。 気を付けで上がるようにKSへ伝え、YSにザイルを下ろしてもらう。・
KSが上がり、YSに確保されコルまで上がる。
つぎにSMが雪崩れてクラストした斜面を真下に5m下がり、左上へ
6~7mトラバースし、直上する。途中のバングは少々つらいものがあった。

15:30 交信の時間は15・:00であったがトランシーバーを持っていたのがSMのためこのじかんになってしまった。HNより最低コルから1ピッチでD尾根に上が
れるとの情報を得た。  
16:15 D尾根に出たときすでにこの時間になってしまった。
ヘッドランプをセットし下降に向かう。 JOパーティのトレースは既に
消えかかり、半分も確認できない。 稜線はさすがに風が強く、下山に時間がかかりそう。……何度かコンパスをYSが切り、方角を見定める。
17:00 このころよりJOパニテイと連絡が取れ対岸のスキーデポ地に待機していることを知る。しかもうらすらと明りも見え心強い。
風雪が厳しいが昨年ほどではないため助かる。
18:00 旧噴火口への下降点赤布を確認し右ヘトラバースしていく。
19:00 JOパー-テイと合流。19:50 十勝岳温泉到着。

問題点

リーダーであるSMが、ルートおよび下降の研究が足りなかった。
どこかにカミホロだからなんとかなるとの意識があった。
YSが貴重品をツエルトの中に入れず雪上に置いでしまった。
KSが過去の登攀内容を記憶していなかった。
15:00に交信がかぶって切れた後そのままになった。

そしてなによりもSMにアルパインクライミングに対するモチベーションが切れかかっていたのが最大の問題であった。冬山は甘くない。
それにしても二年続いて登るよりも、下るほうがはるかに厳しくなるとは思わなかった。下山する体力は登る時よりもはるかに重要であり、無事に生きて還るための最重要要素であることは自明ではあるが。
カミホロはやはりカミホロであった。
                             (SM)