層雲峡 錦糸の滝1987年

層雲峡 錦糸の滝

ビバークサイトは禁断の地
              
1987年1月11日

零下20度、吐く息も凍り付くような厳冬の朝を迎えた3人は、雪深く埋もれた安足間の駅本屋を一路層雲峡へ向け車を走らせた。
昨年の1月、2月狂ったように氷に取り付き、前の年よりは幾分かの進歩はあったにせよ、立て続けに敗退させられた雷電海岸親子別大氷柱の3本のルート、力の未熟さと精神力の弱さ痛感させられた。今年は、是非とも内1本をやっつけたいと心に決め、やがて来るその日のためにトレーニングあるのみ……
10日、18時30分「シグリ」で軽く喉を潤したSM、YN、TYの3人は、シグリのママさんの激励を背に浴びながら今山行の安全よりは、むしろ交通の安全を願い故郷をあとにした。
国道36号線から、234、岩見沢から12号線に合流して、砂川、滝川、旭川、着いたのは既に23時30分を回っていた。底冷えのする旭川の街は、1年前のあの懐かしい感覚を呼び戻しでくれる。

      安足間駅舎 ビバーク地点 今では許されない

 24時過ぎ旭川の街に別れを告げ、層雲峡に急ぐ。当初層雲峡で幕営の予定であったが、昨年泊まった安足間の駅に泊まることにした。あまり大声では勧められないが、屋根は付いているし広々として仲々のビバークサイトである。 午前1時20分消灯……
朝6時、人の気配に目を覚ますとSM顔が歩いている、いや、SMが歩いている。委託のおじさんの鳴らすラジオの音に、もう5時から起きているそうである。さすがに朝は早い。毎朝盆栽の手入れだけは欠かしたことのないだけに早い。インスタントラーメンという、いつも通りの簡単な朝食を済まし、層雲峡までは28km30分程で駐車場に着いた。途中銀河の滝にはテント1張り程度で、時期が早いのか思ったほど混んでいる様子もなかった。放射冷却で冷え込んだ朝、コンディションはまずまずである。ピリツと頬に当たるしばれの中、無言の準備が始まる。お互い顔を見合いながら二コツと笑うがその笑顔もいつしか緊張の渦の中へ吸い込まれてゆく。

         平均斜度70度はそれほど難しくない

身支度を整え、さながらガンダム戦士といった3人は、ブルーアイスに向かった。ガードレールにザイルをフィックスしてそれぞれ下降にはいる。実のところこの護壁の登り返しが氷を登る以上に難しいという巷の噂がある。前置きが長かったが、ともあれこれからが試合開始。今年の錦糸はまだ発達が遅く、中間部にかけてはツララ状になっているところがあり、さらに基部はぽっかりと口を開け雪に覆われ分からなかったが、危なく踏み抜きそうになる者もいた。落ちると多分春まで出てこれないだろう。

1P目  
3人の内1番元気のいいSMおじさんがリード、はりきっている。ルートは中央部ダイレクトラインを弱点突いて登るという。出だし2m、最初のピンを打ち込む。
スナーグの効きはアイスクライミングには欠かせない精神安定剤。今回は沢山スナーグがあるので仲々余裕である。ついこの間買ったばかりのKAJITAXセミチューブ、ニューモデルを右手に、KMさん愛用のボアバンを左手に、老体を庇いながらひとふり、見ていても気持ちのいい程にきまる。効きを確かめエレベーターフィフィをひっかけてアックス1本に全体重を預ける。この瞬間が1番怖い…。

高さが2mだからアックスが抜けて転落しても指をさして大声で笑ってやる程度で済むが、10m、20mとなるとちょっと指をさす訳にもいかない。最初のピンを取り終え徐々に進む。ザイルは順調に流れツララ状の下まで来ると25m、アイスピトンが無くなったということでそこでピッチを切る。セコンドは我輩
「会で1番若く、童顔」と、言われている程無邪気な新人類TY……`。若さ溢れるフォームでなんなく通過。ラストは当会のサイボーグ、「バイオニックYN」待っている間前腕のステンレス筋肉が冷えたのか元気がなさそうであるが、これもなんなく通過。

       1P目 スタート

2P目
平均斜度70度程だろうか、氷のコンディションはさほど悪くない。ただ雪の載っている部分は完全にシャーベットかモナカである。
 TYリードで、ツララ状を右に1m程かわしちょっとしたテラスに立つ。 2m程の垂氷で少し緊張するが慎重にアックスを打ち込む。出だし2本のアイスピストンを打ち込んでいるので一気に抜ける。以後は特に問題なく少し氷はくさっているが、12時20分終了点に到着。すぐにセコンドに上がってもらいつづいてラスト、ラストはピンの回収があるので少し時間がかかる。 出だしの垂壁を除けば特に緊張した場面はなくコンスタントにこなすことが出来た。

ともあれ3人は14時登攀終了し、2回のアップサイレンで15時全行程終了。あわてて装備を片付け温泉に直行、SMさんもYNさんも、そして僕も、『これがあるから止められない』冷えきった体を温めたのでありました。
帰り道滝川ヤマドリで、もうもうたる煙の店内で食べた焼肉のせいか腹具合が?                          (TY)


37年前はダブルアックスが出てすぐであり、プロテクションも打ち込み式のスナーグである。アックスを打ち込みフイフイでテンションをかけた後スナーグを打ち込んでいた。Vスレッド、アバラコフといった技術も開発されていないなど、今日とはやはり相当違う。とはいえ、道具や技術が進歩しても老齢化すれば、帳消しとなることは身をもって感じる今日この頃だ。