黒岳 北稜末端壁
山屋の悲しい習性
1990年2月13~15日
2月13日
大荒れになるという天気予報のもとで23:30出発したのだが、高速道路50Km規制がかかり、吹雪も砂川あたりからひどくなってきた。
深川に着くころには40km以下のスピードとなり必死のドライビングである。
旭川に入ると不思議なくらい安定した天候に変わり、やっとの思い出層雲峡に到着。
2月14日
9:00のロープウエイで上がり、リフトを乗り継いでいくが傾斜がきついので私とAHは休んでばかりでスピードが上がらない。
気温はリフトの場所で-21℃との事なので風の強い上部では体感気温-30℃くらいにはなるのではないか。
リッジに出ると目を開けていられないくらい風が強く凍傷になりそうだった。
9合目付近で黒岳沢へ降りる下降地点を見つけて降りていくが、沢から吹き上がってくる風がさらに強く、不安定なルンゼをトラバースするのは困難を極めた。
常に強風にが吹き荒れているルンゼに雪は全く付着していない。
そのため、アイゼンが全く用を足さずザレの上では堆積した岩くずが崩れてしまう。
末端壁を回り込むところでKSが風に飛ばされそうになり一瞬ドキッとする。
それでも取り付きりつきまで何とかたどり着いたが、風上に顔を向けることが全く出来ない。これでは完全に顔面凍傷にやられてしまうし、リッジに上がったら吹き飛ばされてしまうかもしれない。三人でどうするか話し合うがこの状態は火を見るより明らかである。
一言『やめよう、こりゃ死ぬわ』すぐに来たルートを戻りリッジ上に上がって雪洞を掘ることにした。13:30雪洞堀開始。
お粗末なスコップ一丁なので交代で掘るが外にいると体が凍りそうで震える。
16:30ようやく内部にツエルトが張れる大きさの雪洞が完成した。
熱いお茶を沸かして一息つく。何もすることがないので21:00寝る。
2月15日
明るくなってきた表を中から見ると晴れているように見えたのだが、出てみると視界は20m位しかない。リッジに出て黒岳北稜方面を見ても何も見えず、風は昨日よりさらに強くなっている。ここでの話し合いも当然のことながら『全然駄目だ、止めるべ!』
下山は斜滑降で何度も転びながらやっとの思いで下った。
層雲峡温泉で風呂に入り、11:00出発したのだが途中渋滞に巻き込まれ札幌に到着したのは19:00となってしまった。
ルートには上がれなかった今回だが、取り付きりつきまで行けたのは慰めになっただろうか? (SM)
大荒れになるという天気予報を知りながら現場まで行くのが山屋の悲しい習性だろうか。結局、取付きまで到達できずに敗退となったが、今でも同じことを繰り返しているのではないかと反省する日々だ。