韓国 仁寿峰 1991年

韓国仁寿峰    

落ちそうで落ちない、滑りそうで滑らない                    

1991年8月11日~18日
                    
〔行動日程概略〕
8/11(日)
札幌~千歳(15:00)~金浦空港(17:55)~ソウル11(HOTEL ・ SEOSEOUL)
8/12 ソウル~牛耳洞~道註寺7白雲山荘一西面・オーバーハングルート、
東面大スラブ~友情Aバリエーションルート。
8/13 東面大スラブフ友情B 東面大スラブ・ハング下トラバース
8/14(水)
ショイナードB 西面クラック 東面大スラブ・ハング
8/15(木) 東面大スラブ~仁寿B
8/16(金)
白雲山荘~道読寺~牛耳洞~ソウル泊
8/17 ソウル~金浦空港(11:20)~千歳(13:55

行動日誌
8/11 千歳に12;30集合であったが家でなにもすることがなく、早めに家を出る。  
SMも早めに現れて、13:00の搭乗手続きを待つ。搭乗手続きを終え昼飯をたべに食堂に行く。飛行機にのると、機内食が出て昼飯をたべ過ぎたことを後悔する。 僕にとって3回目の海外登山、家の神からは、「これが最後」と言われている。
「冗談じゃない、後2~3回はいっちゃうもんね」これは口には出さない。
天候を気にしつつ飛行機は金浦空港に着陸。荷物を受取り、税関で並ぶ事約2
時間。僕らは登山と言うことでザックも開けられずスンナリ通過することができたが、他の旅行客は結構しつこく調べていた。

空港案内所に戻り、牛耳洞のホテルを紹介してもらう。・・・はずだったのだが、大きいホテルが無いのでタクシーで牛耳洞近くのホテルに連れて行ってもらえとハングル文字で書かれた紙切れをもらう。大韓航空のカウンター、空港案内所では、日本語がつうじる。タクシー乗り場は直ぐわかる。30分程待ってタクシーに乗り込む
運転手に紙切れを見せるが、なんとも要領を得ない。言葉が全然通じない。どうやら牛耳洞には、ホテルがないといっているようだ。しかたなくソウルのホテルに行ってもらう。着いたホテルで、値段を聞くと30%引きで4万ウォン6さらにシングルだというのでツインを申し込むが無いという。
 結局スイ→トルームに泊まる事になりもう予算オーバーである。朝食を買出し、遅い晩飯をレストランで取るがバイキングだけというごとでこれも高い。なんとかスパゲッティを作ってもらう
                                  (AH)
8/12    
ホテルを7:00にチェックアウトしTAXIで牛耳洞へ向かう。 渋滞の市内から牛耳洞を通り道詩寺の山道をTAXIはあえぎつつ登山口へ到着した7:50歩き始めると早くも滝りような汗が流れ。ゆっぐりと山道を登っていく。 30分ほどで展望台に着き。,眼前
にスケールの大きな仁寿峰と白雲台が姿を現した。 展望台下のキャンプ場で食事り支度そしていた女の子に白雲山荘の場所を聞くと,もっと上と教えてくれた。 20分で白雲山荘へ到着。 係りの金さんに料金を聞くとなんと5日間2人で80,000Wとのこと。5年前の倍であるが,食事付きなので仕方のないことだ。
 早速荷物を整理し。下降ピンのある西面へ向かう。」12:00取り付着。風がまつたく無くとにかく暑い。気温は30度を越えているようだ。   

      仁寿峰全景 日本では見られない完全なる一枚岩

             
ギアの整理もノロノロで気合いが入らない。 見上げたルートはボルトルートで下降ルートと同一である。どのルートを登っても常に下降はこのルートを利用することになる。オーダーはAH一SMの順ですべてのルートをつるべで登ることにした。

『ボルト・ルート』

1P目5.7 35m.
クラック末端の右したから取り付くジャミングは決まるし、フリクシヨンがばっちりなので快適。

2P目5.6 17m
左上クラックは全く易しく何ら問題はない。 ただアンカーを間違え右へ行ってしまった。    

3P目5.6 10m
同じ様な超快適クラックを登る。

4P目A0 15m
バング下はホールドも豊かだし,途中からのボルトの連打はホイユホイ行け
 る程近打ちしてある。アンカーは日本では見たことのない極太の鉄棒で心強い。

5P目5.7 20m
左上するジェードルクラックをハンドジャムで登る。

6P目 5.8 20m
スラブを直上し、オフイズスのひろいクラックを強引にずりあがるがけつこう厳しい。上がり切ると頂上に出た。広く、そして快適な日陰がありひと休みする。 ここからの眺めはちよっと日本では考えられない禿山というか、白い岩山が延々と続く。 アプザイレン2回で下まで降りて南面へと向かう。                                                   (SM)

 白雲山荘の内部 室内の大半を厨房が占めている おばさんの料理はうまい


『友情Aルート』

1P目5.9 40m
大スラブバング左の一番ルートにラインを取ったが、途中にピンが一本しかなく、そこからが非常に難しい。落ちそうで落ちない、滑りそうで滑らないといった冷や汗のピッチ。

2P目5.6 20m
 かなりや、さしくなったが20m直上したところにピンがあったのでピッチを切る。

3P目 5.6 17m
 これもやさしく短い。 左上して行きジェードル下のアンカーでピッチを切る。

4P目 5.6 40m
 ラインはジェードルを離れ、右上のクラックラインに取ることとした。フレンズもジャミングも決まる。

5P目 5.9  26m
クラックは難しくないのだが傾斜がきつくなってくるので少しずつ困難さを増す。 途中より左上し立木のアンカーでピッチを切る。セコンドの私はアンカーに上がった途端にポケットよりピラピラとお金を撒いてしまった。 あわててテンション下降してほぼ全額拾い集めた。うむ、なんたるあほうな私。

6P目 5.8 25m
5.8とトポに書いてあったが、とてもそうは思われぬくらい難しい。しかも下部は濡れているので、空身でとり付く。 バングを抜け、右上ヘトラバースしてアンカーへ。

7P目 5.6 15m
 快適なクラックを直上し立木でアンカーを取る。 この上はブッシュの連続であまりおもしろくなさそうなので左の細いクラックにラインに移ることにした。

8P目 5.10c 20m
 左へ2m程トラバースし、最初のボルトヘクリップしたまではよかったがここから一歩も上がれない。どうしても思い切れないのだ。右手は爪ホールドだし、左は全くない。ス タンスはやはり極小で何度もテンションを掛けつつ、最後に思い切り立ち上がる。 なん とか落ちずに上がり2番目のボルトへ行く。難しいがおもしろい。

9P目  Ⅲ級 25m
 ブッシュ帯とスラブ帯を抜けると頂上への道にでた。 頂上にはクライマーが5~6人休んでおり、身振り手振りで話をする。 白雲台下ではスラブの特訓をやっていた。
下降を終えたのは1,7:30になっていた。 白雲山荘(ペグンサンジヤン)には18:00着。  山荘にはすでに日本人パ。-テイが2組戻っていた。
                               (SM)
8/13    
昨日は暑くて良く寝ることができなかった。今日も朝から暑い。コーヒーを一杯飲んで、目を覚ます。7時近くに、朝食の用意ができたと呼びに来た。朝食は上の家でとる。部屋に入ると、『オンドル』とオバサンがいった。「あー、これがオンドルの部屋か。足下が暖かい」 ゆっくり準備をして出発。取付きまで10分と掛からないのだが、全身、汗だらけ。ゆっくりとテーピングして、取付きテラスまでフリーで歩く。

     ダブルクラックは見た目ほど難しくない


『友情Bルート』

1P目[(大スラブ1番コース)
簡単なクラックからスラブを登る。ボルトにグリップしてからが難しく昨日程ではないが嫌になる。ボルトでビレー。

2P目(大スラブ1番コース)
オアシス・テラスを目指してスラブを登る。スリップが許されないスラブをSMは30m程ザイルを伸ばしでフレンズを①決め、後はザイル一杯で立ち木でピレー

3P目(友情B・1P)  
水をのみ、汗を拭いて開始。正規のルートはスラブだが、左のクラックから取り付く。 10m程クラックを登り、右トラバースしてスラブに入る。ここで韓国の3人パーティーのトップlと抜かれる。少し待って立ち木でビレー。

4P目(友情B・2P)
少し濡れたフエしスをバング下4m程登り、フレンズを決め左側を乗り越す。
真っ直ぐクラックを登り,次に左に一歩出てききの甘いクラックを登り立ち木でビレー。

5P目(友情B・3P)
チムニーを行く.最初は幅広で楽だがバック・アンド・フットになってくると、背中のザックが、ザックモガイテ、モガイテ立ち木でビレー。ここで、二人ともヘロヘロ。

6P目(友情B・4P)
 左上するWクラックを快適に登る。これで暑さが無ければ最高なのだが。

7P目
簡単な岩とブッシュを漕いで終了。頂上で30程寝てしまう。北海道に住む2人にとって、この暑さは我慢できない。
再び取付きへと戻り、大スラブ1番のバング下・トラバース・ルートをSMのリードで登る。バング下のクラックは浅くききが甘いがフリクションは最高。
                                  (AH)
8/14

『ショイナードB』

1P目 5.7 35m
大スラブを右へ大きく巻いたところが取り付きである. 先行パアテイがあったので少し待ち,ジエ-ドルを直上,途中よりスラブになりアンカーへ。

2P目5.8 37m
傾斜がない変わりにすべてアンダークリングという一風変わったクライミングである.第一関節が入るか入らないかのトラバースは足首に力が入る。
トラバースから直上のレイバック叫なり左上のバングを越えて立木でピッチを切る. 

3P目 IV 25m     
快適なハンドクラックを直上,途中より右のクラックに移りさらに直上。

4P目IV十 40m
ハングぎみのワイドクラックでもろそうだが、さすがに仁寿峰である。
 バングを越えると状の変わったクラックを直上する.    

5P目 IV 40m   
これまた快適なチムニーを直上、気分の良いことこのうえない。
耳岩基部のボルトで終了。

6P目 5.10a 12m
最初の一歩がどうにも上がらないめでショルダーならぬ尻押しで一つ目ボルトへ特製ヌンチャク(?)をかけAoで耳岩へ這い上がる。ここからデリケートなスラブをゆっくりと上がっていくが、高度感があり冷や汗が流れる。 落ちたら空中にぶらさがってしまうので落ちれない。2つめのボルトからやさしくなる。

7P目  IV 20m     
アプザイレンで耳岩を降りると仁寿を上がってきたパーティがいた。
やさしいクラックだが上部はドロなので油断大敵だ。
ピークへと立つとハイカーが白雲台の頂上からヤッホーの熱烈連続絶叫攻撃である。 ほんと喉がいかれるんじゃないかと思われるほどの大声でうるさい。
  
『西面クラック』5.11a
テンションの連続となる。歯がまったく立たない!
『大スラブハング』5.10a
トップロープをかけバングを越えるのだがホールドがわからない。しかし、左上にガバがあり強引にずりあがる。
山荘にもどり、夕食は外でする。やっと涼しくなり掛けた表での食事は旨い。
                                (SM)

8/15   
今日は光復節(1945年の日本からの独立記念日)。ウトウトしていたら、人が来るわ、来るわ。明りはつけるし、話し声はうるさい。  
仁寿峰最後のクライミング日だというのに、完全に寝不足である。

『仁寿Bルート』

1P目
テラスからクラックをハング下まで登り左トラバース、ハングを越え右上してボルトでビレー。

2P目(大スラブ) 
あくまでノーピン。松の木を目指して左卜する。ボルトでビレー。

3P目(大スラブ)
簡単なスラブを松の木テラスまで。

5P目 (仁寿B ・ 2P)
ミニオTプン・ブック気味のクラックを行く。 疲初オフウィズス気味だが、5
mも行かないうちに右手バッチリ、快適ハンド・クラック。立ち木でビレー。

6P目(仁寿B・3P)   
簡単なクラックを10m程登り、左へ3mトラバース。スラブを右上して立ち木
でビレー。

7P目(仁寿B・4P)
斜度のない快適クラック。ブッシュも出てくる。

8P目(仁寿B・5P)
斜度のない快適クラック。ブッシュが多くなる。   

9P目
簡単なスラブ?う~ん、最後までスラブは、好きになれない」
 
ハシシダ頂上で白雲台で行われている、光復節式典を遠目で見ながら オフウィズス・グラックを行く。難しいとは思わないのだがズリズリ上がリ、クライマーとギヤの話しなどが弾む。
最後は変則レイバック。立ち木で右身振り、手振りの日本語、韓国語そうだイングレリッシュも混じって居た、セルフビレーを取終ると、隣のスラブルートを登っていた韓国クライマーからザイル!コールがかかる。ザイルを二本引き抜き、投げて渡すとゴボウで登ってきた。とぐに、シューズとカムギヤを自慢していましたよ。 (AH)

    

     インスボンのピークは平らで平和だ

 

私がインスボンに行ったのは35年も前の話しだから、今では事情が少し変わっているかもしれない。しかし、ルート自体やルートによっては懸垂下降してはいけないなどのルール等はほとんど変化ないものと思う。
 当時、日本語のガイドブックは皆無であり韓国語版を手に入れ、図表だけで登った。
 北海道にはスラブルートがないために、かなり恐ろしい思いもしたが、案外登れるものなので安心して取付いていた。